故・坂本龍一さん、韓国人アーティストの絵を見ながら旅立っていた

生前の言葉を収めた本、日本で出版
今年3月の死去前日、病室に絵を掛ける

故・坂本龍一さん、韓国人アーティストの絵を見ながら旅立っていた

 世界の映画音楽界の巨匠で、今年3月に71歳で死去した日本のミュージシャン・坂本龍一さんの自伝が19日に出版された。坂本さんががんと闘病しながら残した日記など、生前の記録が収録されている自伝『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』が同日、日本の首都圏の書店で発売された。共同通信などが報道した。

【写真】死去前日、病室に掛けられた李禹煥氏の絵

 日本のメディアが報道した自伝の内容によると、坂本さんが死去する前日の3月27日、病室のベッドの正面には韓国人アーティスト・李禹煥氏の絵が掛けてあったという。71歳の誕生日だった1月17日にリリースしたスタジオ・アルバム『12』のジャケットに使用した絵だ。李禹煥氏とかねてから親交のあった坂本さんがアルバムジャケットに使用するために自ら頼んだそうだ。李禹煥氏は坂本さんの新曲を聞いて抱いた感情を抽象的なドローイングで表現した。「風の音、宇宙的な音の束が降りてくる感じを受け、いろいろな色の線を重ねて描いた」という。

 がん闘病中だった坂本さんは3月19日、自宅で食事を終えて寝ていたところ、突然の呼吸困難など気胸の症状に見舞われ、病院に救急搬送された。肺の状態が良くないと診断され、1週間ほど経った25日、本人の意志で「緩和ケア」段階に入った。緩和ケアとは、病気をこれ以上治療するのは難しいという判断の下、当事者と家族のため、追加の症状に対してのみ緩和治療するという段階だ。坂本さんは当時、医師と握手して礼を述べ、「もうここまでにしていただきたいので、お願いします」と語ったとのことだ。

 その後、坂本さんは自身の葬儀で流す曲のリストを選んだ。予定されている自身の中国での展示会に関する打ち合わせにもオンラインで参加し、音楽監督を務めた東北ユースオーケストラの公演も病床で見守った。

 今回の自伝の基となった、坂本さんの闘病時の連載を編集した鈴木正文さん(74)は「坂本さんがやがて訪れるこの地上での死を予期して始めたことだと思う」「坂本さんは最期の瞬間まで非常に意志的であった」と語った。

 自伝には2021年1月、坂本さんが直腸がんの手術を受けた時の記述もある。がんは肝臓や肺などほかの臓器に転移し、手術は20時間も続いたとのことだ。同年5月の坂本さんの日記には「かつては、人が生まれると周りの人は笑い、人が死ぬと周りの人は泣いたものだ。未来にはますます命と存在が軽んじられるだろう。命はますます操作の対象となろう。そんな世界を見ずに死ぬのは幸せなことだ」と書かれていた。

 坂本さんはまた、「夏目漱石が胃かいようで亡くなったのは、彼が49歳の時だった。それと比べたら、仮に最初にガンが見つかった2014年に62歳で死んでいたとしても、ぼくは十分に長生きしたことになる」「この先の人生であと何回、満月を見られるかわからないと思いながらも、せっかく生きながらえたのだから、敬愛するバッハやドビュッシーのように最後の瞬間まで音楽を作れたらと願っている」と書いている。

 このほかにも、「音楽制作から舞台芸術への参加、政治的発言まで多岐にわたる活動を支えてきた坂本さんの哲学、そして女優の吉永小百合さんや韓国の男性アイドルグループBTS (防弾少年団)のSUGA(シュガ)さんをはじめとする著名人との交流など、ここでしか読めないエピソードを多数披露している」と日本のタワーレコードでは紹介している。

 今回の坂本さんの自伝には、解釈など編集者の介入なしに、坂本さんが生前に書いた日記と連載文だけが収録されているとのことだ。鈴木さんは坂本さんの生前の記録について、「読者に解釈を委ねたい」と話している。日刊スポーツは「この自伝は海外から多数の翻訳出版オファーを受けている」「韓国・中国・台湾などでも刊行されるだろう」と報道した。

キム・ドンヒョン記者

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