東京がソウルをうらやむ時期があった【コラム】

都心の醜い高架に頭を抱える東京…清渓川を復元したソウルに感嘆
その間に東京は天地開闢、ソウルは退歩…運命を分けたのはリーダーシップとマスタープラン

 06年、李明博・ソウル市長の東京大学での講演では、清渓川の予算や土木技術ではなくリーダーシップについての質問が集中した。清渓川復元を巡る対立は、韓国人がよく知っている通りだ。生計が懸かった商人らの反発と違って、市民団体や政界の反対闘争は文字通り政治的な理由からだった。李市長は講演で「徹底した現場調査、緻密な計画と最新技術、何より原則と誠意で市民を説得した」と語った。聴衆500人はソウルのリーダーシップについてメモするのに忙しかった。そんな時代があった。

 「清渓川」の後、ソウルと東京で何があったのだろう。02年に東京再開発の枠組みを整えた小泉首相のようなリーダーシップもあったが、韓国が今、羨望(せんぼう)の目で見ている東京の天地開闢(かいびゃく)は「マニュアルの力」だ。一度計画を立てたら、東京はリーダーシップが変わっても揺るがない。逆にソウルは、市民団体出身の市長がいた10年間で退屈になり、劣化し、古くなった。彼は「保存と再生」だと言ったが、10年が過ぎてみると、それは退歩だった。ソウルは今後もたびたびリーダーシップが交代するはずで、おかしな哲学が再び登場して都市を退歩させる危険性が高い。政治に揺さぶられないソウルと国家復興のマスタープランが必要な理由がここにある。ところが今の韓国政治は互いに極端にかけ離れた観点から「汚染水」だ、「楊平」だと論争に明け暮れている。

鄭佑相(チョン・ウサン)政治部長

【写真】清渓川を照らす色とりどりのオブジェ

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