韓国統一部 受難の時代【コラム】

前代未聞の組織改編の刃を振るわれ「あまりに過酷だ」と言う統一部
北の人権に目をつむっていた過去…あいまいにやり過ごそうとしたのか

 今、統一部(省に相当。以下同じ)は集団パニック状態だ。7月に「対北支援部のようだ」という大統領の叱責(しっせき)を受け、長官・次官と統一秘書官がまとめて外部の人物に置き換えられたこと自体、1969年の部創設以来初の仕打ちだ。大々的な組織改編の刃が振るわれ、1級公務員の幹部全員が辞表を書き、辞表の提出を拒否した2級公務員以下の幹部らは他部処(省庁に相当)へ転出または特別教育対象-という話が出回って部全体がざわついている。

 昨年の尹錫悦(ユン・ソンニョル)政権発足直後の時点では、雰囲気は全く違っていた。前政権時代の反逆的行為を巡る批判などにより他の部処で悲鳴が上がったときも、統一部は相対的に平穏だった。与党側の実力者に挙げられる大物議員が長官として赴任し、大抵の「外風」は防いでくれたことが大きかった。実力者の長官のおかげで部の立場も向上し、外交部・国家情報院(韓国の情報機関。国情院)に対して持っていた劣等感も忘れて過ごしていた。

 太平の世は突然、幕を下ろした。統一部が今春発刊した北朝鮮人権報告書の英文版がきっかけだった。冒頭に「正確さを保証しない」という免責文(disclaimer)を載せたことが禍根だった。「信頼性を自ら損なう文言を載せた真意は何か」という人権諸団体の抗議が降り注いだ。直ちに是正していたら、事件はここまで大きくならなかっただろう。だが統一部は「何が問題なのか」というような対応をして、この件について報告を受けた大統領が激怒したという。

 この事件は、統一部実務陣の単純ミスで起きた事故に近い。責任者と目された幹部だけを見ても、統一部には珍しい対北原則主義者に分類され、前政権では終始、主な補職から排除されてきた人物だ。だが大統領室は、この事件を統一部の「挑発」と見なした。これが、政権交代から1年以上も経過した今になって、統一部がだしぬけに「積弊部処」と目されて荒波にさらされるに至った経緯だ。

 過去の政権において、統一部は冷や飯食いの立場だった。大統領府が、北の統一戦線部のカウンターパートとして国情院を公に据えたことで、統一部は会談支援部処へと転落した。2018年の4・27板門店首脳会談の際、趙明均(チョ・ミョンギュン)長官が陪席できなかったことが、当時の統一部の立場を象徴的に示している。統一部は会談前日にこの事実を通知され、ショックに見舞われた。「南北平和ショー」の助演でもない、エキストラだったのに、「積弊の巣窟」扱いされるのだから悔しかろう。

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