朝鮮総連を知らないという尹美香議員にご一読いただきたい在日2世・梁英姫著「北朝鮮で兄(オッパ)は死んだ」【コラム】

 無所属の尹美香(ユン・ミヒャン)議員に推薦したい本がある。在日朝鮮人2世(現在は韓国国籍)の梁英姫(ヤン・ヨンヒ)氏(58)が書いた『北朝鮮で兄(オッパ)は死んだ』だ。 日本語版しかないが、ページ数が多くないので、尹美香議員の周囲の「東京の同胞」たちにも翻訳可能だろう。本が難しいなら、梁英姫氏が監督したドキュメンタリー映画『ディア・ピョンヤン』や『グッバイ・ピョンヤン』でもいい。このようなものを見た後だったなら、韓国の国会議員が在日本朝鮮人総聯合会(朝鮮総連)の行事に行くはずはなかったと思う。

 朝鮮総連幹部だった梁英姫氏の両親は「北朝鮮は地上の楽園だ」という言葉を信じ、10代の息子3人を北朝鮮の貨客船「万景峰号」に乗せて北に行かせてしまい、生涯自責の念にさいなまれた。「朝鮮総連の帰還事業」が招いた家族の悲劇をつづったのが梁英姫氏の本とドキュメンタリー映画だ。朝鮮総連は朝鮮学校や各地域の機関などを総動員し、「無償教育・無償医療が保障されている差別のない共和国へ行こう」と執拗(しつよう)に在日の人々を説き伏せ、1959年から25年間にわたり約9万3000人を「首領様の懐」に送った。複雑な書類手続きを朝鮮総連が全て代行してくれたため、文字が分からない在日の人々も多数、万景峰号に乗った。

 船が元山港に着いてすぐ、だまされたことに気付いたが、戻る方法はなかった。北朝鮮に送還された人々は人質になり、日本に残った家族は朝鮮総連に多額の忠誠献金をしなければならなかった。梁英姫氏の両親も30年間、北朝鮮にいる息子たちに対して支援したが、穴の開いたかめに水を注ぐようなものだった。「飢えていてもベートーベンなしでは生きていけない」と言っていた長男はとうとううつ病で亡くなり、次男と三男は何をしても「金日成(キム・イルソン)万歳、金正日(キム・ジョンイル)万歳」と叫ぶ機械になった。それでも梁英姫氏は「兄たちは平壌で暮らしていたので運が良かった」と話す。

 北朝鮮に送還された人々が自由を取り戻す方法は脱北しかなかった。北朝鮮帰還船に乗った約9万3000人とその子孫のうち、脱北に成功したのは約200人だけだという。彼らは貧困と差別にさいなまれて日本を離れたが、北朝鮮ではそれとは次元の違う貧困と迫害があったと口をそろえて証言する。食糧難・物資不足は普通のことで、一生「チョッパリ(日本人に対する蔑称)」などと言われながら賤民(せんみん)扱いされた。「とてもじゃないが生きていけない」と独り言でも言おうものなら、家族全員が政治犯収容所に連れていかれ、行方不明になった。人権団体が「朝鮮総連の北朝鮮帰還事業は現代版の奴隷貿易」と糾弾するのはこうした理由からだ。今年で帰還事業64年になるが、朝鮮総連はこれまで一度も謝罪したことがない。

 尹美香議員は「日本の市民社会ではどこに行っても朝鮮総連がある」と言って、自身の朝鮮総連関連行事への出席に問題はないと主張している。関東大震災の朝鮮人虐殺に劣らず反人権的惨事である在日朝鮮人帰還事業を組織的かつ体系的に進めた朝鮮総連を、まるで平凡な市民団体のようにごまかしているのだ。まずは朝鮮総連による被害者の切々たる心情が込められた梁英姫氏の本やドキュメンタリー映画をご覧になることを尹美香議員に強く勧めたい。もし、ご覧になっても何が問題なのか分からないというなら、それは尹美香議員が人のことを「事業の手段」と考えることに慣れているからではないだろうか。

ヤン・ジヘ記者

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  • ▲無所属の尹美香(ユン・ミヒャン)議員 写真=聯合ニュース

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