病院で終末期患者の話を聞き続ける韓国系牧師 /米フロリダ

 米国のある総合病院に勤めながら、死を控えた患者たちの最後の話を聞く韓国系牧師の話を米CNNテレビが報じた。

 9月19日(現地時間)、CNNテレビによると、パク・チュン(Joon Park)牧師(41)は米フロリダ州タンパ市のある総合病院に籍を置く牧師で、これまでの8年間、臨終を控えた数千人の患者に会い、話を聞いてきた。

 同病院で死を迎える患者たちは、死ぬ前に最後にパク牧師に会うことになる。パク牧師は、誰かの最後の瞬間に彼らの声を傾聴する人がいることを知らせるのが自分の役目だと話す。

 パク牧師は「これ以上、声を聞けないというのはとても悲しいこと」とし「患者たちと時間を過ごしながら皆には各自の話があり、話を通じて癒やしを得るということを学んだ」という。

 音楽家を夢見て路上で生活していたがん患者の青年は、パク牧師に「夢をかなえられず残念だ」と話した。彼がパク牧師に残した最後の話は一度も持ったことのない「家」に対する歌だった。

 パク牧師は、生まれたばかりの三つ子を同時に失い悲しみに打ちひしがれていた母親の姿、死んでいく赤ちゃん、配偶者の臨終を控えた保護者の姿もはっきりと覚えている。死を控えておびえた10代の少女がパク牧師に「私が死なないように祈ってください」と哀願したこともあった。

 パク牧師がこの仕事をするようになったのには幼い頃の心の傷が大きく影響している。韓国人移民者2世のパク牧師は幼い頃、両親から言語的、身体的虐待を受けていた。その挙げ句、病院に入院したこともあったという。

 彼は「私は最善を尽くしたが、疲れていて憂鬱(ゆううつ)だった」とし「何かに没頭しようとする能力に悪い影響を与える深刻なトラウマがあった」と話す。

 パク牧師は自らを「グリーフ・キャッチャー(悲しみをつかむ人)」と表現することもある。深い悲しみに陥った家族の心を理解し、死んでいく人が慰めと思い出を大切にできるよう手助けするというのだ。

 パク牧師はこの仕事を通じて経験したことをソーシャルメディアを通じて共有している。彼は自分の経験を共有することで多くの人と死について意見を交わしている。

 パク牧師は、ある掲示物で「毎週悲しみを体験する誰かが伝えてくる幾つかの話」という題の書き込みをアップし、「どんな場合でも特に笑う必要はない」とした上で「笑うからといって彼らが大丈夫だという意味ではない。笑ったからといって悲しくないわけではない」と書いた。

 また、パク牧師は自分が聖職者(priest)とセラピスト(therapist)の間に位置する「治療牧師」(therapriest)とし、宗教的な目的よりは患者の話を聞き、彼らを慰めることが自分の存在理由だと明かした。

 さらに「患者が望むなら宗教的な対話を交わすこともできるが、ほとんどの対話は精神的な健康から悲しみに至るまで、実にさまざまだ」とし「私たちは信仰と死の間にある空間に存在していて、患者が対話を望むなら、いかなる形であれ彼らのために存在する」と述べた。

 パク牧師は死んでいく患者たちが共通して話すテーマは「後悔」とも語った。それとともに患者たちがするほとんどの後悔は、人生で「私が望むことではなく、他の人たちが望むことだけをしていたということ」と付け足した。

 最後に「それが常に私たちの過ちなのではなく、場合によって私たちが有している資源やシステム、周辺文化により許されなかったため」と分析した。「ようやく自由を見いだした患者と目を合わせ、話を聞いてあげることが私の希望」とし、笑みを浮かべた。

キム・ジャア記者

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  • ▲米フロリダ州タンパ市のある病院で「治療牧師」として働くパク・ジュン牧師。/X(旧ツイッター)

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