「やや」親北? 朝鮮総連のウェブサイトをぜひご一読ください(上)【寄稿】

「われわれは、朝鮮民主主義人民共和国を熱烈に愛し擁護し…」 平壌の海外工作機関であると自ら立証
野党議員の総連行事出席は北の統一戦線戦術に乗せられるもの
総連に取り込まれた文世光の最後の告白「私はばかだった」

 彼らが「平壌に行ったことがある」というので、いつか機会があればソウルを訪れてみて、皆さんの人生はゆがんだ教育を受けて誤導された面があるから、バランスの取れた視角で韓半島を見るべきだ-という言葉で締めくくった。1日や2日の対話で意識を修正できる段階ではなかった。日本で生まれ、深刻な民族差別と蔑視を受ける中、総連が作った朝鮮学校に入学し、偏向した教育を受けた在日同胞の屈曲した人生だった。小中高および朝鮮大学校と続く総連の教育機関が、第2世代、第3世代の在日同胞らに誤った歴史意識と世界観を注入した結果だ。総連系の学校の「学習組」組織は、民族教育という名分の下、毎年生徒を連れて平壌の万景台を訪れて金氏一家の主体思想などを注入した。

 大阪・京都など関西地方は在日同胞が多数居住し、昔から総連の活動が盛んな場所だった。筆者の講演を妨害せよと総連本部から指示が下ったが、立命館大学で事前に行事妨害禁止の警告を行ったので、抗議じみた質問をするというラインで終わったのだということを、後で日本の教授から聞いた。

 総連は1955年5月に北朝鮮の「海外公民団体」として結成されて以降、日本において北朝鮮訪問者のビザ発給など北朝鮮代表部の役割を代行しつつ、同時に対南工作機関の機能を遂行している。平壌は韓徳銖(ハン・ドクス)元議長や許宗万(ホ・ジョンマン)現議長など指導部を遠隔操縦し、総連を朝鮮労働党日本支部にした。在日同胞らがパチンコ、酒類事業などで必死に稼いだ数十億円の資金を金日成(キム・イルソン)、金正日(キム・ジョンイル)に毎年上納してきた歴代の総連議長、副議長らは、死後に北朝鮮の「愛国烈士陵」に埋葬された。1974年、光復節の慶祝式場で当時の朴正煕(パク・チョンヒ)大統領夫人、陸英修(ユク・ヨンス)氏を殺害した文世光(ムン・セグァン)も、総連に取り込まれた人物だった。文世光が、死刑執行の当日、立ち会っていた関係者に伝えた最後の言葉は「私はばかだった」だ。

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