法治国家・韓国の判事は声を一つにしなければならない【寄稿】

数年前、韓国の裁判所は2人の元大統領を証拠隠滅の容疑で拘束した
なぜ現職の野党代表だけは防御権を保障すべきなのか
日本は裁判官の弾劾請求だけでも既に2万件…判事が司法の正義を壊すとき、国民は弾劾を要求すべき

 記者は記事で語り、学者は論文で語り、判事は判決文で語る。記者の記事はデスクが検討し、学者の論文は同僚の査読を経るが、判事の判決文には事前検証の手続きがない。誤報を出した記事は訴訟に遭い、資料を操作した学者は葬り去られるが、誤った判決文を書いた判事は事後処罰を受けない。あらゆる文明国の裁判は三審制で運営されるが、上級審の判決で下級審の誤りが判明しても、判事は問責されない。

【表】李在明代表関連事件で逮捕・起訴された主な人物

 憲法は、判事にのみなぜこれほど大きな特権を保障しているのか? 判事が高貴な選民であったり、特に秀でた人材であったりするからではない。判事が、ひたすら法と良心にのっとって公正に判決を下さねばならないという重い司法の責務を負っているからだ。もし判事がその重大な責務に背き、法の精神に反する不当な判決を出すとしたら、民主共和国の市民はいかにして裁判官の独裁に立ち向かうのだろうか。

 わずか数年前、韓国の裁判官は、元大統領2人をはじめとする多数の高位公職者を「証拠隠滅のおそれがある」として拘束した。当時、令状判事らが振るった法の刃は侍の真剣よりも鋭利だった。無罪推定や不拘束裁判の原則は論じられることすらなかった。裁判所は元大統領を捕らえて半年後、またも拘束を半年延長し、毎週4回の公判を続けた。

 そんな韓国の裁判所が、超大型不正の疑いがかかり、自らの口で50年の刑をうんぬんしている野党代表を「証拠隠滅の恐れはない」として釈放した。被疑者が京畿道知事だったときに偽証を教唆した疑いは既に明白な一方、その同じ人物が野党代表の身分であるから証拠隠滅の恐れはない、とする判事の決定文は全く常識的ではない。法治国の司法府のあらゆる決定は、衡平性と一貫性を兼ね備えているべきだ。どの社会であれ、法の生命は純一性(integrity)にある。著名な法学者、ドウォーキン(Ronald Dworkin)の雄弁のごとく「国家は声を一つにしなければならない(be speaking with one voice)」

 元大統領と関連の被告人らに手錠をかけたり捕縄で縛ったりしてメディアのさらし者にするという、文化大革命スタイルの人格殺害を日常的に行っていたのが韓国の裁判所だ。いまさら現職の野党代表だけには「防御権を保障すべき」と言うのだから、無原則で、不公正で、非論理的とするほかない。司法の原則と基準が情勢次第、判事の傾向次第で豹変(ひょうへん)するのであれば、誰が裁判所を信頼できるだろうか。

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