「すみませんが、戦争は君に興味を持っているんですよ」【朝鮮日報コラム】

ウクライナ、イスラエルの次は韓半島だという米国の専門家
屈従するよりも戦うという決意を持てば戦争を防ぎ、「戦争か、平和か」というスローガンに振り回されたら戦争は防げない

 民主党は2007年に政権を失っておよそ80議席の少数党へと転落したとき、狂牛病(牛海綿状脳症。BSE)で大成功を収めた事例を忘れられず、絶えずデマにすがり続けている。それと同じく「戦争か、平和か」のスローガンで成功した事例も忘れられずにいる。「戦争か、平和か」は、いかなる譲歩をしてでも平和を守るべきだという意味だ。そうやって戦争を事実上放棄した国は朝鮮だ。その結果、戦争をしてみることもなく国を失った。そのとき、李完用(イ・ワンヨン)は「それでも戦争するよりはましではないか」と言った。

 戦争が起きたら人が死ぬから無条件で譲歩して避けるべき、という単純な論理で大衆を脅かし、幻惑することは、世界中の政治屋がやっている。連中は国民と国家を蝕み、最後には戦争へと導く。責任ある指導者は「戦争は防ぎたいが、主権と独立が脅かされるのであれば避けるつもりはない」と宣言しなければならない。国を国らしく、国民を国民らしくしてこそ戦争を防げる。主権と自尊は、ただでは守れない。雇い兵を用いる国は例外なく滅んだ。

 ウクライナ、イスラエルの人々の日常が一瞬で破壊されるのを目の当たりにして、大切な今の日常を皆が守りたいと言う。ごろつきが横行する世界で日常を守る最も確実な方法がある。国民、大統領、政党、企業、社会が「場合によっては戦争を避けられない瞬間が存在する」という事実を受け入れればよい。そういう国には、誰も手を出さない。

 世間に、戦争を望む人間はいない。だからといって外敵に屈従しながら生き永らえたいと思う人間もいない。両者の衝突は避けられない。そのとき、屈従を選んだら戦争になり、戦争も辞さずとしたら戦争を防げる。もう「戦争か、平和か」はやめにしなければならず、振り回されるべきではない。それが、自分と家族と国を戦争から守る道だ。誰しも怖い。その恐怖をあおり、苦しさを誘惑して票を得ようとするのは政治屋のやることだ。指導者は、国民の本能的な恐れを乗り越え、決意を集結させるべき人間だ。

 戦争の歴史は数多くの名言を残した。その名言の中でも精髄は、ロシアの革命家トロツキーが言ったことだと思う。世界大戦のむごたらしい災厄の中で欧州が呻吟(しんぎん)し、知識人社会に反戦主義が広まっているとき、トロツキーはこう言った。「戦争に関心がないですって? でも、すみませんが、君は戦争に興味が無くとも、戦争の方では君に興味を持っているんですよ」。戦争の本質的属性が、この言葉に盛り込まれている。戦争は、戦争に反対して平和を主張する人間たちに関心を持ち、やって来る。来るなら来いという人間たちは避ける。「勝つ戦争より汚い平和の方がまし」だと言う李在明(イ・ジェミョン)代表が深く銘ずるべき心理だ。

楊相勲(ヤン・サンフン)主筆

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