開化期の朝鮮にはコレラが蔓延していた。生死の境をさまよっていた朝鮮人たちは、米国の宣教師が設立した病院に押し掛けた。彼らが病院で見たものは、最先端の医療技術だけではなかった。外国の医療陣は夜を徹して患者を世話し、患者が亡くなると涙を流した。異邦人の流す涙を見た朝鮮人たちは「この外国人たちと同じくらい、我々は自分たちの家族のために犠牲を払えるだろうか」と驚いた。これは医療系の宣教師、リリアス・アンダーウッドが著した『まげとともに過ごした15年』(原題:『Fifteen Years Among the Top-knots; or, Life in Korea』)で紹介されている話だ。
梨泰院で起きたハロウィーン雑踏事故の1周忌行事に出席した韓国与党「国民の力」の印曜翰(イン・ヨハン)革新委員長に対し、何者かが「韓国のX(スラング)でもないくせに、ここをどこだと思ってやって来たのか」と叫んだ。印曜翰氏は韓国で生まれ育ち、韓国国籍を取得した韓国人だ。韓国のセブランス病院は印曜翰氏が人生をささげた職場だ。全羅道の方言を使う印曜翰氏は、腹の中まで韓国人だ。それなのに、ただ見た目が韓国人と異なるという理由だけで韓国人ではないと言われてしまう。犠牲者を追悼するのに見た目がどう関係するというのか。
国籍と民族は別個の問題だ。しかし韓国人は長い間「韓国人=漢民族」という先入観にとらわれて生きてきた。1950年代まで、閉鎖された国で暮らす「井の中の蛙」だったからだ。国家の最大多数の民族が人口の85%を超える場合、単一民族国家と考えられるが、韓国はこの割合が96%で、世界で最も高い部類に入る。そのため、肌の色が異なると「韓国人」として見てはもらえない。人種に対する考え方も正常とはいえない。しばらく前、白人男性と結婚して旅行で欧州を訪れた韓国人女性は「誰も私たち夫婦のことなど気に留めていないのに、韓国の観光客だけがちらちらと私たちを見ていた」と話した。
世界の多くの国々では、既に随分前から国籍と人種を別の問題として考えている。人種が違っても同じ国民として暮らし、共に国を守る。イスラエル軍の10%は黒人だ。英国の現首相は両親がインド系だが自身は「英国人」であり、「インド系」ということには特に関心がないという。この夏に訪れた札幌では白人女性が日本語で案内していた。「日本人ですか?」と尋ねると、「そうです」と答えた。
韓国も多人種国家へと変わりつつある。2000年までは韓国国籍を取得する外国人は年平均34人だったが、2010年以降は年間1万2000人を超える。外国人200万人が韓国で共に暮らしているのだ。国民の意識も変化している。K-POPアイドルグループに初めて外国人がメンバー入りしたとき、「韓国人が歌っていないのにK-POPと言えるのか?」と反発するファンもいたが、今では韓国人が1人もいないK-POPガールズグループの歌を一緒に歌っている。英国出身のマイケル・ブリン氏は著書で「韓国人はまず国籍で人を判断する」と批判した。さらに言えば、肌の色へのこだわりも強い。もうそのような認識から脱却する時期に来ている。
キム・テフン論説委員