関東大震災100年:四十数人が「悉く殺さる」 朝鮮人虐殺、日本政府の新公文書発見

 100年前、日本の関東大震災当時、日本人が朝鮮人を虐殺した事実を記録した日本政府の公式文書が発見された。東京に隣接する埼玉県に駐屯していた陸軍の機関が、関東大震災当時、陸軍省に報告した文書だ。「関東大震災時の朝鮮人虐殺を確認した公式記録はない」という日本政府の立場に正面から反駁(はんばく)する文書だ。1923年9月1日にマグニチュード7.9(推定)の強い地震によって引き起こされた関東大震災は、東京都・横浜市・神奈川県など関東一円で10万5000人が死亡・行方不明となる大災害だった。当時、日本人の間で「朝鮮人が暴動を起こした」などの流言飛語が広まり、数多くの朝鮮人が日本の自警団などによって殺害された。

【写真】森達也監督「善良な日本人、集団に埋没して暴走…それが虐殺であり戦争」

 25日に毎日新聞が報じたところによると、ジャーナリストの渡辺延志さんが防衛省防衛研究所史料室で、関東大震災発生から3日後に日本人が朝鮮人およそ40人を殺害したと記録した「関東地方震災関係業務詳報」を発見し、公開した。これは当時、陸軍の地方機関として埼玉県において徴兵や在郷軍人の管理などを担当していた「熊谷連隊区司令部」が作成した文書で、同年12月15日に上部機関たる陸軍省に提出された。

 報告書によると、虐殺は同年9月4日、警察官らが朝鮮人およそ200人を埼玉県浦和から深谷・本庄警察署方面へ移送する過程で発生した。当時、朝鮮人暴動説が出回っていた状況下、関東地方の警察官は「朝鮮人を保護する」という名目で朝鮮人を集め、警察署に移送した。報告書には、昼間に移送できないまま残されていた朝鮮人およそ40人が、熊谷市内の各所で殺気立った群衆によって殺害された、と明記している。

 報告書は、この事件を「鮮人虐殺」と称し、「朝鮮人は結局、一人も(警察署や日本人を)襲撃しなかった。毒を(井戸に)入れたという話も聞かなかった」と記していた。日本人の自衛に該当し得ないという点を明確にし、こうした行為を「不法行為」と適示した。報告書は、こうした事例を教訓とし「今後朝鮮人を移送する際は夜間を避けねばならず、夜間の移送は殺害される危険がある」とも指摘した。

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  • ▲9月1日、東京都墨田区の横網町公園にある朝鮮人虐殺犠牲者追悼碑前で僧侶らが祈りをささげている様子。/写真=聯合ニュース

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