深夜3時に避難警報…余震続く中でも秩序を失わない輪島市内の避難所で一晩過ごした 本紙東京支局長ルポ

【能登半島地震現場ルポ】

 1月3日未明2時55分、日本の石川県輪島市門前町の輪島市立西小学校体育館で「緊急速報、直ちに避難してください」という緊急地震速報の警告が鳴り響き眠りから覚めた。度重なる地震の発生を知らせる緊急地震速報が体育館の中で鳴り響いた。周囲で休んでいた日本人の被災者たちは動揺し、立ったり座ったりしていたが、しばらくすると再びその場で横になった。ここは輪島市が準備した被災者のための避難所だ。高さが海抜14メートルとのことで、突然津波が襲ってきても安全と考えて眠りに就いた。元日の1日午後に石川県の能登半島を襲ったマグニチュード7.6の強い地震で最も大きな被害が発生した地域が輪島市だ。この地震により3日夜までの時点で73人の犠牲者が確認されている。

【写真】本紙東京支局長が撮影した輪島市内の避難所の様子

 前日の夜8時30分ごろ西小学校体育館に到着した。避難所とはいっても決してリラックスできるわけではない。3階建ての建物は全てが完全に闇の中だった。電気も水道もストップし、何とか風を防げる程度だ。電気はしばらく通ったかと思えば再びストップする状態を繰り返した。自宅が崩壊し体だけ何とか逃げてきた約130人の地元住民は暖房もない寒い体育館で段ボールをベッドに整然と余震が相次ぐ夜を過ごした。

 日本人は外国人記者の訪問に最初は難色を示した。その理由について避難所のボランティアは「避難所には高齢の方がたくさんいる。インフルエンザの感染が広がらないが心配だ」と説明した。この最悪の状況で避難所にインフルエンザの感染が広がれば致命的だ。入所が認められた時はトイレの使い方を厳守するよう念を押された。感染対策のためトイレを出るときには必ず手を消毒しなければならないという。

 1階の教室は階段の使用が大変な高齢者、2階には比較的若い被災者がいた。1階講堂の入口にはベッドの代わりに使う包装用の段ボール箱がきれいに積まれてあった。「まるでホームレスだが、それでもないよりはましだ」とすぐ横にいた29歳の日本人男性が語っていた。毛布はないが大きな防災用のアルミシートが配布された。前日から避難していた被災者の中には壊れた自宅から布団やマットレスなどを何とか持ち込んで寒さ対策をしている人もいた。

 深夜になっても1時間に1-2回は建物を揺るがすような地震が起こり、それに伴う大きな音が鳴り響いた。余震で建物全体が揺らぐ時の音だ。体育館で話を聞いた76歳の男性は「一昨日の強い地震で木造の自宅が完全に崩壊した」「ここは丈夫な鉄筋の建物だからこんな音が出る。そう考えれば逆に安心だ」と述べた。

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  • ▲日本の石川県輪島市に急きょ派遣された成好哲(ソン・ホチョル)東京支局長。成支局長は3日未明に輪島市立門前西小学校の体育館で休んだ。
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