天才・大谷翔平の「全力疾走」【コラム】

完璧に見える大谷も失敗を経験
できることに全力を尽くして限界突破
「何でも不可能だと決め付けるのはやめよう」
試練の渦中で誕生した二刀流

 大谷がその全ての障害物を突破した方法は、一貫した「全力疾走」だった。そもそも二刀流そのものが試練の中で誕生した。高2の時にけがでしばらく球が投げられなくなると、挫折ではなく自分にもできる打撃練習に力を入れた。高校時代の監督は「もし投手として順調に成長していたら、打者としての大谷は見られなかっただろう」と振り返る。

 米国の舞台でスランプに陥った際も、大谷は静かながらも熾烈(しれつ)な時間を過ごした。科学的分析で投球フォームを整え、データを活用して疲労度を測定する方法を見いだした。食習慣と運動はもちろんのこと、休息と睡眠時間の管理にも徹底して取り組んだ。そして、ついに2021年に潜在能力が爆発し、本来の実力を遺憾なく発揮した。「私は常に疑問を抱いている多くの人々を相手にしてきた。そのプレッシャーが私を飲み込まないよう努力した」と当時を振り返る。

 子どもの頃、大谷は実業団リーグでプレーした父親から野球を学んだ。当時、父親が強調した原則の一つは「常に全力疾走すること」。これが今日の全力投入で没頭するプレースタイルを築き上げた。スポーツ心理学者の児玉光雄氏は、大谷が完璧主義者ではなく、最善主義者だと分析する。完璧主義者は結果に執着してストレスを受け、興味を失ってしまうのに対して、最善主義者はミスと失敗を受け入れ、一喜一憂せず、回復が早いというのだ。

 高校時代、大谷は「球速160キロ」を目標に「最初は無理だと思ったが、やってみると感覚がつかめるようになった。何でも最初から不可能だと決め付けるのはやめようと思った」という。大谷が不可能に近いと思われていた挑戦を続けていくことで、大谷を見守ってきた人たちも新しい悩みを抱えることになり、新たな見解を抱くようになった。前例なき旅路に身を寄せることになったのだ。失敗と試練が大谷をより強くし、大谷そのものをこの上なく完璧につくり上げた。諦めることなく、絶えず背伸びしながら全力疾走する執念が、大谷の本当の卓越した才能だった。

チェ・スヒョン記者

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