「強制連行」がなかったら「強制労働」には当たらないのか【寄稿】

 強制労働修正条約を批准したドイツ・ポーランドと異なり、日本・韓国はまだ批准していないのも問題だが、ドイツ連邦議会がポーランドなど東欧で強制動員した労働者、強制収容所の収容者、労役に動員した戦争捕虜などに対する賠償法を通過させたのは2000年8月12日のことだった。

 ドイツが早い段階から強制労働を認める基準にしたのは、強制連行の有無ではなかった。賠償を主管する「記憶・責任・未来財団」やベルリンの「強制労働資料センター」は、合法的に締結された契約だったとしても労働者がその契約を破棄できなければ強制労働だと定義している。

 実際ナチス占領当時、ポーランドの労働者は、金を稼いで新たな環境で出発しようという意図で労働者として登録し、ドイツの農村や工場へ行くケースが少なくなかった。「ドイツに行って、もっとましな暮らしを見つけ、経済的余裕を享受しよう」というスタイルの、ポーランド労働者らを対象にしたナチスの宣伝ポスターはあちこちに張られていた。

 苦労の末に金を得て、大きな旅行かばんを持って帰国した人々が、同じポーランド人から金銭狙いの強盗に遭う事例も少なくなかった。また、一部の若い女性は、身内の家父長的抑圧から逃れる方便としてドイツ行きを選ぶこともあった。こうした人々が強制労働の被害者として認められるのは、契約条件を再交渉したり、契約を破棄して移ったりできる自由を保障されていなかったからだ。

 強制労働に対する歴史的理解は、働いている人の人権という普遍的な基準に依拠するのが適当だ。強制労働の過去を韓日間の民族的感情対立から救出し、働く人々の人権を高揚させる契機とすることこそ、東アジアの戦後世代が、彼らの苦痛を責任持って記憶する道となる。今、日本と韓国で働く外国人労働者に強制労働の影はないかどうか、注視すべきだろう。

 日本の最高裁や韓国の大法院とは審級が異なる、東アジア共同の人権裁判所が強制労働問題を取り扱ったら、どういう判決が出るだろうか?

林志弦(イム・ジヒョン)西江大学教授(歴史学)

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