タレントの車仁杓(チャ・インピョ)氏が小説を書く決意したのは除隊したばかりの1997年夏だった。その日テレビをつけると背が低い丸顔の老女が空港のゲートから出てくる様子がライブ中継されていた。16歳で日本軍慰安婦として連れ去られ、カンボジアの奥地で55年生きてきたという女性だ。「死ぬ前に一度は故郷に何としても来てみたかった」と語る70代の女性が入国ゲートで「アリラン」を歌った時、車仁杓氏は「針が胸を突き刺すような苦痛と怒りを感じた」と当時の思いを語った。
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しかし小説は簡単には書けなかった。車仁杓氏は「日本軍を暴風のように懲らしめ、痛快に復讐(ふくしゅう)するストーリーで書こうと思ったが、怒りだけでは話を進めることはできなかった」とも語る。
一時は諦めていた原稿をもう一度手にしたのは、2人の子供の父親となった8年後のことだ。車仁杓氏は怒りと復讐を許しと和解に昇華する方向転換を見いだした。白頭山の麓の「ホランイ(虎の意)村」の住民と、その周辺に駐屯していた日本軍兵士たちが協力して倒れた稲穂を立てる場面がその典型だ。車仁杓氏は「私たちの悲しい歴史を子供たちにどう伝えるか悩んでいたら、単なる懲らしめや復讐を選択することはできなかった」と語る。
この小説は2009年に出版されたが、誰も読まないので絶版になった。それから突然意外な連絡が来たのは今年6月だ。英オックスフォード大学がアジア中東学部の韓国学必修教材として車仁杓氏のこの小説「いつか私たちが同じ星を眺めるならば」を採択したのだ。選定された理由も注目を集めた。「ウクライナ戦争、イスラエル戦争など世界各地で銃声が鳴り響く今、許しと連帯の糸口を投げかけた」というのだ。アジア中東学部のチョ・ジウン教授は電話取材に「刺激的なストーリーと熾烈(しれつ)な復讐で終わる作品とは違い、『母の星』が必要な彼らに温かい共感と連帯を呼びかけるストーリーが文学的に響いてくるから」と説明した。オックスフォード大学はこの小説を大学の全ての図書館に置くため英語、ドイツ語、フランス語への翻訳を進めている。
独立記念館長任命問題で今政界では再び親日問題が浮上しているが、それを横目で見ながら想像してみた。「竹やり歌」を歌い親日・反日の区別に乗り出した政治家たちは車仁杓氏をどちらに分類するだろうか。北朝鮮住民の悲惨な実情を描いた映画「クロッシング」に出演し、脱北者の強制送還に反対するデモや抗議活動を行い、小説では日本軍を美化したから「ニューライト」になるのか? 息子と共に、慰安婦被害者女性が生活する「ナヌムの家」でボランティア活動に取り組み、統一を願う思いから小説の舞台を白頭山の麓の村に設定したから左派になるのか。