同日涙した男性が日本の2人組バンド「CHAGE and ASKA」のASKAであり、CHAGE and ASKAは「SAY YES」などのヒット曲を皮切りに1980-90年代の日本の歌謡界で絶大な人気を誇ったグループだ。同公演が金大中(キム・デジュン)政権の日本文化開放政策に伴う日本人歌手による初の大型来韓コンサートであり、彼らにとってはまるで賭博のような冒険だったという事実を後で知った。CHAGE and ASKAは活動を6カ月ほどストップさせ、コンサートの準備だけに没頭した。チャーター機に乗って付いてきた日本人のファンがコンサート会場をほとんど埋めたにもかかわらず、コンサートは韓国語で進められ、コンサートの収益金は韓国女性財団に全額寄付されたという事実も後で知った。にもかかわらず、韓国での反応はいま一歩で、日本でも何というありさまかと非難される中、人気は下火となり、所属事務所も倒産。バンドまでが解散してしまったという事実も、やはり後で知った。
24年前の同日、李秀賢さんが線路に飛び込んだものの、「韓日友好増進のために犠牲になる」という決心をしていたわけではなかっただろう。ただ目の前で人が転落し、彼のために勇気を出したのだ。CHAGE and ASKAの来韓公演の際も、イ・ヒホ女史をはじめとする要人らによる説得があったとは言うが、「音楽だけは歴史のしがらみを乗り越えるものであってほしい」という彼らの意志が最も大きかったに違いない。こうした真心がかみ合って、みすぼらしい新大久保の裏通りが青春の街へと変貌を遂げ、日本ドラマとKが当たり前であるかのように消費される新しい時代が幕を明けた。
「僕らがそれでもやめないのは/夢の斜面見上げて/行けそうな気がするから」。ASKAが25年前に涙をかみしめながら歌った「オン・ユア・マーク」の歌詞の一部だ。未来志向的な韓日関係は夢の斜面であって、われわれは反日竹やり歌(東学農民革命を記念する歌)や嫌韓ヘイトスピーチに屈せずに、何とかここまで上がってきた。日本の植民地支配からの解放80周年と、韓日国交正常化60周年を迎える今年、さらに力強く上ってみようではないか。政治が力強い原動力となってくれることを願ってやまない。
ヤン・ジヘ記者