昨年12月3日以降、野党は戒厳法改正案を58件も発議した。国会議案情報システムに登録されたものだけで、この数だ。第一の骨子は、「戒厳」を大統領ではなく事実上国会が宣言・解除できるようにしようというものだ。「戒厳の宣言は国会の事前同意を経ること」「国会への通告に問題があった場合には、戒厳を無効とする」「国会が解除を議決すれば国務会議(閣議)の審議を経ずに即座に(戒厳解除を)履行する」などだ。戒厳は形式的には大統領の権限だが、実際には事前・事後の手続きにおいて国会が全権を握れるようにするというわけだ。
第二の骨子は、いかなる場合でも国会議員には指一本触れさせないようにしようというものだ。幾つかの改正案を見ると「戒厳令下でも殺人・暴行などの現行犯でない限り、国会議員を逮捕することはできない」「議員や一般国民の国会への立ち入りを禁止することはできない」「戒厳解除の議論が行われる際には、逮捕・拘禁された議員も会議に出席できる」「大統領と戒厳司令官が国会の機能を妨害できないよう、明確に規定する」などの内容が含まれている。極端に言えば、国会議員が殺人を犯しても、戒厳解除を議論する本会議には出席できるようにしようということだ。
これらを見て、ふと気になったことがある。野党はいったい何をそんなに気にしていたのだろうか。大統領に対する裁判所の内乱罪裁判や憲法裁判所の弾劾審判で、事実上の検事の役割を果たす野党の立場から見ても、法律の解釈や手続きにおいて何か釈然としない点があったため、事後的な対応として大量の戒厳法改正案を提出したのではないか。憲法77条第3項と戒厳法第9条に明記された特別措置権について、野党側の法曹関係者も「あっ」と思ったのだろうか。野党は「今後このような戒厳が二度と起こらないようにするための立法措置だ」と言うだろうが、裏を返せば、現行の憲法・戒厳法・刑法では大統領を断罪するには議論の余地があることを自ら認める反証になっているのではないか。それならばいっそのこと、大統領の戒厳権を定めた憲法77条を削除し、戒厳法そのものの廃止を訴える「世論戦」を仕掛ければいいものを、何を意図してだらだらと改正案を58件も…。
野党には次のような提案をしたい。大統領選の早期実施があるのかないのか、もしあるとすればいつごろなのかは知る由もないが、その時に野党の候補が期日前投票の廃止、開票は100%の集計作業などを公約にすれば、どんなことが起きるだろうか。野党側の誰かが「世論調査を操作した主犯は、減刑・仮釈放・赦免のない無期懲役に処する」という刑法改正案を出したら、どうなるだろうか。野党代表が「世論の操作は、地下鉄の車内に毒ガスをまくことよりも、いや、内乱罪よりも重刑にすべき重大犯罪」と宣言することはできないだろうか。
新進気鋭の大統領候補たちが「公職者に対する弾劾訴追が憲法裁判所で棄却された場合、発議した議員の歳費と所属政党への国庫補助金を6カ月間没収する」という公約を掲げたら、国民はどう反応するだろうか。また、公職選挙法の裁判で迅速な判決を下すための、いわゆる「6・3・3原則」(一審6カ月、控訴審3カ月、上告審3カ月)を守らなかった判事に対し、その期間を合計した12カ月間(6+3+3カ月)、給与を全額カットするという法改正案を出したら、世論はどう動くだろうか。
国民が聞きたい声は複雑なものではない。切実だが、簡潔なものだ。議員であれ、検事であれ、判事であれ、裁判官であれ、法と原則と手続きを守れということだ。「弾劾が棄却された場合、議員も責任を取れ」ということだ。
監房というのは妙なものだ。監房に閉じ込められた人間が足を伸ばして眠り、外にいる人間のほうが焦燥する。それが「監房の逆説」だ。時には大統領が自由になり、野党代表が息苦しくなることもある。一時は野党の大統領候補は「9合目まで来た」と感じたかもしれないが、支持率は30%台のまま全く動かない。
抜け出す方法がないわけではないが、選択は容易ではない。プロの囲碁棋士たちが異口同音に話す教訓がある。「待つことを知らなければならない」だ。攻めを急げば負ける。その瞬間、全てがわなに落ちる。泥沼のように、自力では抜け出せない。焦る気持ちは分かるが、今の野党はあまりにも前のめりになり過ぎている。
キム・グァンイル記者