敗北を認めてサッカー強豪国に成長…イタリアが失い日本が得たもの【寄稿】

 感情が理性を圧倒し、不服が集団化して制度に相対する時、共同体は揺れ始める。エルサルバドルとホンジュラスの「サッカー戦争」は、その極端なケースと言えるだろう。両国間に蓄積した民族感情と政治的葛藤は、1970年のメキシコW杯予選をきっかけに爆発した。予選敗退後、エルサルバドルのある少女ファンが自殺すると、国家的哀悼ムードの中、大統領と代表チームまでが乗り出して不服を扇動。両国は結局武器を手にするはめとなった。受け入れられなかった敗北は疲労につながり、その余波は数十年間にわたって社会的、経済的破綻を招き入れた。

 韓国社会は昨年12月3日、尹錫悦(ユン・ソンニョル)前大統領の戒厳宣言以降、国会による弾劾、憲法裁判所の罷免決定に至るまで、前例なき葛藤と分裂を経験した。内乱状態と呼ばれるほど価値感の衝突と極限的な対立に国中が揺れたわけだが、暴力を伴った最悪の事態には至らず、憲法と法律に基づいた手続きの中で危険な時間を持ち堪えた。厳しい国際情勢と経済危機の中、リーダーシップの不在により失ったものは大きいが、共同体の秩序は大きな枠組みの中で維持され、民主主義はさらに一歩前進した。

 政治学者たちは、民主主義の核心は完璧な結果ではなく、葛藤の調整機能としての手続きと過程にあるという点で意見が一致する。政治哲学者のシェリル・ハンソンは「民主主義は全ての問題を解決するわけではないが、爆発しないように支える構造」と説明する。また、ロバート・ダールは「民主主義は単なる多数決による支配ではなく、敗者にも次の機会が保障されるという信頼の中で作動する手続き的体制」とし、ジョン・ロールスは「正当な手続きに対する市民の信頼を土台とした社会」と説いた。

 スポーツは、民主主義のトレーニングセンターでもある。結果に満足できないかもしれないが、手続きが尊重されれば、われわれは再びトレーニングセンターに戻って次の試合に備えることができる。その繰り返しの中で市民と社会は成熟し、制度は強固なものとなり、共同体は持続可能となる。手続きに対する尊重と結果に対する承服は、その次を可能にする唯一のスタートラインだ。そしてわれわれはこれを「スポーツマンシップ」と呼ぶ。

 われわれの未来を決めるもう一つの勝負が予定されている。参加する全ての選手たちが手続きと規則を尊重し、決められた枠内で競争を展開。結果を堂々と受け入れてくれることを願う。その過程が勝者と敗者の違いにかかわらず、皆が手を取り合って明日に進むことができる出発点になることを望む。試合終了のホイッスルが鳴ったとき、私たちは本当の意味で試験台に立たされることだろう。韓国社会にスポーツマンシップが必要な瞬間だ。

シム・チャング・スポーティズン代表

【表】サッカー日本代表・森保監督体制の成績

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