「ミスタープロ野球」長嶋茂雄さん(89)死去

 読売ジャイアンツ(巨人)の長嶋茂雄・終身名誉監督が3日、肺炎のため亡くなった。89歳だった。「ミスタープロ野球」と呼ばれた長嶋氏は、日本プロ野球の一時代を象徴した選手であり、指導者だった。

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 1936年生まれ。立教大学を卒業した長嶋氏は1958年に巨人のユニホームを着て、「レジェンド」王貞治氏と共に日本プロ野球界の「ON時代」を切り開いた。新人ながら打率3割5分5厘、29本塁打、92打点を記録、ホームランと打点で1位になり、華やかにスタートを切った。その後、打撃王6回、本塁打王2回、最優秀選手賞(MVP)5回と、「巨人の4番打者」として日本プロ野球界で活躍した。

 1974年に引退するまでに通算444本塁打、1522打点をマークしたが、記録よりも強く、長く残っているのは「記憶」だ。打率も一発もあるバッティングや、バットを握り締めた後ろ姿など、「日本の近代野球」が望む完璧なバッターだった。そしてスターであり、明るく模範的な人々のあこがれだった。引退試合でも最後も444号ホームランを放つなど、ドラマチックそのものだった。そして、現役引退のあいさつでは「私は今日引退をいたしますが、我が巨人軍は永久に不滅です」という名言を残した。長嶋氏の背番号 3 番は巨人の永久欠番になっている。

 1975年、引退後すぐに巨人の監督に就任し、セ・リーグ優勝を5回、日本シリーズ優勝を2回果たした。2004年には日本代表監督にも指名されたが、アテネ・オリンピックを前に脳梗塞で倒れた。

 長嶋氏は監督を退いた後も「日本球界の顔」だった。2013年には弟子の松井秀喜氏と共に国民栄誉賞を受賞し、2021年の東京オリンピック開会式では王貞治氏、松井氏と共に聖火リレーを担当した。プロ野球選手としては異例の文化勲章も受章した。

 一世紀近くの間、日本プロ野球界には巨人があり、王貞治氏がいて、そのそばにいつも長嶋氏がいた。「長嶋氏なしに日本の野球は語れない」という声が多い。米大リーグ、ロサンゼルス・ドジャースの大谷翔平は交流サイト(SNS)に長嶋氏との写真を掲載し、「心よりご冥福をお祈りいたします」と短く追悼の言葉をつづった。長嶋氏には特別な修飾語も必要ない。「ミスタープロ野球」という言葉の中にすべてが込められている。

カン・ウソク記者

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