李在明大統領は2005年に共に民主党の前身である開かれたウリ党(ヨルリンウリ党)に入党した。06年の城南市長選挙、08年の国会議員選挙(京畿道城南盆唐甲選挙区)ではいずれも落選したが、10年に3回目の挑戦で城南市長に当選した。14年に再選を果たした李在明大統領は青年手当、教育の無償化、産後処理院無償化のいわゆる「3大無償福祉政策」を推進し、中央政界にもその名が知られるようになった。16年の朴槿恵(パク・クンヘ)元大統領弾劾政局では共に民主党の政治家として最初に「朴槿恵退陣」を要求し、全国区の政治家へと一気に飛躍した。李在明大統領は「城南市長だった当時が人生で最も幸福だった」と語る。
李在明大統領は2017年に共に民主党の大統領候補を選ぶ予備選挙に出馬した。ファンクラブ「ソンカラク(手の指)革命軍」の熱烈な支持を受けたが、文在寅(ムン・ジェイン)元大統領、安熙正(アン·ヒジョン)元忠清南道知事に次ぐ3位に終わった。しかしこの予備選挙を通じて次の大統領候補としての地位を固めた。18年には京畿道知事に当選し、政治家としての格も上げた。
李在明大統領は2022年の大統領選挙の時まで共に民主党では非主流とされていた。17年の大統領選挙予備選で文在寅元大統領を強く支持する「親文」と呼ばれる勢力に反感を持たれたからだ。文在寅元大統領就任後、当時親文の主流派から政治攻撃を受け、親文系のある支持者は李在明大統領の除名を要求した。しかし京畿道知事として党内基盤を拡大した李在明大統領は22年の大統領選挙予備選で、文在寅政権の初代首相や共に民主党代表を歴任した李洛淵(イ・ナクヨン)議員を抑え、共に民主党の大統領候補となった。この大統領選挙で尹錫悦(ユン・ソンニョル)前大統領に0.73ポイント差で敗れたが、直後に仁川市桂陽乙選挙区の国会議員補欠選挙に出馬・当選し、同年8月の共に民主党大会で77.77%の得票率で党代表に就任した。
李在明大統領は昨年4月の総選挙で親明(李在明系)を一気に公認候補とした。反対派からはいわゆる「非明(非李在明)横死、親明橫災公認」と呼ばれ激しい批判を受けた。影響で共に民主党の支持率は一時下落したが、共に民主党は総選挙で175議席を得て圧勝した。公認騒動を落ち着かせ圧倒的な過半数議席を持つ野党第1党を構築した李在明大統領は独自のリーダーシップを発揮し、昨年8月には85.4%の圧倒的支持を得て党代表に再選された。共に民主党で2期連続党代表となるのは金大中(キム・デジュン)元大統領以来だった。
李在明大統領は政治経歴を積み上げる過程でさまざまな刑事裁判に苦しみ、政治的に何度も崖っぷちに追い込まれた。しかしそのたびに無罪などを勝ち取り政治的地位と影響力を高めてきた。京畿道知事だった2019年には公職選挙法違反により二審で当選無効に相当する罰金300万ウォン(約31万円)が宣告されたが、翌年大法院(最高裁判所に相当)で逆転無罪となった。大法官の意見が無罪7、有罪5に分かれるギリギリの判決だった。23年9月には李在明大統領に対する国会の逮捕同意案が採決され、共に民主党からも反乱票が出て可決されたが、裁判所は拘束令状を棄却した。李在明大統領は最近まで五つの刑事裁判を受けてきた。先月1日には大法院で公職選挙法違反で有罪趣旨の差し戻し判決が下されたが、判決が確定する前に大統領に当選した。
パク・サンギ記者