猛暑にもかかわらず大阪・関西万博来場者1000万人突破…安穏な老後をなげうって奔走する「ミスター・ミャクミャク」にインタビュー(上)

【インタビュー】大阪観光局理事長・溝畑宏さん(元観光庁長官)

■25カ国の国歌を歌う

-韓国では愛国歌(韓国国歌)を4番まで覚えている日本の元長官が話題になりました。

「2011年の東日本大震災で日本列島が絶望に陥った時、韓国政府や自治体をはじめ、ペ・ヨンジュンさん、崔志宇(チェ・ジウ)さん、東方神起などたくさんのスターたち、そして韓国国民も世界のどの国よりもたくさんの応援と支援を下さりました。感謝の思いを伝えるため愛国歌を歌いました」

-不快に感じる日本国民も多かったようですが。

「ごく少数(笑)。しかし私は韓国だけでなく25カ国の国歌を歌えます。どこかの国を訪問する時には必ず国歌を覚えてから行きます。国歌にはその国の歴史や文化、情緒が凝縮されているからです。フランスでサッカー・ワールドカップが開催された時はフランスの国歌、ドイツで開催された時はドイツの国歌を歌いました」

-韓国には102回来られたそうですね。

「私は韓国が本当に好きです。大分県庁に派遣されていた1990年にイタリアでサッカー・ワールドカップが開催されましたが、韓国とスペインが試合した時に韓国選手たちの激しい闘志に感動したことがそのきっかけです」

-だから大分県にプロサッカーチームを立ち上げたんですか?

「スポーツが大好きな私は大分県にサッカーチームを立ち上げ、Jリーグに進出させる計画を立てました。しかしその当時はまだ日本のサッカー環境はあまり良くなかったので、韓国サッカー界から支援を受けるしかありませんでした。1994年に『大分トリニータ』を立ち上げ、ムン・ジョンシク監督や90年のイタリア大会で素晴らしいゴールを決めた皇甫官(ファンボ・グァン)選手を迎え入れました」

-大韓サッカー協会も訪問したとお聞きしました。

「当時日本では批判的な声もありましたが、すぐ隣にサッカーが強い国があれば、当然学ぶべきだと思いました。2008年に大分トリニータがナビスコカップで優勝した時、解説者が印象深いことを言いました。『大分トリニータの優勝は日本と韓国の力が合わさって成し遂げられた』と。先日(1990年代に日本代表だった)井原正巳選手が水原サムスンのコーチになったと聞いて感慨深かったです」

-2002年の韓日ワールドカップにも関わったとお聞きしました。

「ワールドカップ組織委員会実行委員として何度も韓国を訪れました。ワールドカップ当時はソウル市庁前広場で韓国のサポーターたちと一緒に愛国歌を歌って韓国代表を応援しました。真露焼酎に酔っぱらって寝たことは1回や2回ではありません(笑)」

-韓国がなぜ好きなのですか?

「韓国の『人』の義理と温かい情が好きです。誕生日や旧正月になると今でも韓国の友人たちと連絡を取り合う。日本人が学ぶべき部分だと考えています」

-韓流も好きですか?

「BTSの『ダイナマイト』を聞きながらコロナ禍を乗り切りました(笑)」

【写真】愛国歌を熱唱する溝畑宏さん

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  • ▲ソウル市中区の朝鮮日報本社で取材に応じた溝畑宏さん。溝畑さんは日本の元観光庁長官で現在は大阪観光局理事長を務める。取材中も溝畑さんは大阪関西万博のマスコット「ミャクミャク」を手に笑顔を見せた。/パク・ソンウォン記者
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