■「『法の支配』を無視する発想」
李大統領は今回、「司法府は立法府が設定した構造の中で憲法と良心に従って判断するものであり、司法府の構造は司法府が思い通りに決めるものではない」とも発言した。これに対し、ある大法官(最高裁判事)経験者は「『法の支配』というものは、形式的に立法府が通過させた法律に基づいて支配するというものではない」「『法の支配』における『法』とは、憲法の精神を指すものだ」とし、さらに「国会で通過しさえすればひとまず実定法としては成立するだろうが、憲法の精神を具現する法でないなら真の『法の支配』ではない。今、与党が推進している各種の法案には、そういうものがある」と指摘した。
車珍児(チャ・ジンア)高麗大学法学専門大学院教授は「司法府を国民が直接選出しないようにしたのは、司法府が劣等だからではなく、『国会の縮小版』にしてはならないからだ」として「国会のようになったら、大法院(最高裁)や裁判所はどうやって公正な裁判をするだろうか」「だから、司法府の構成の中心原理は『独立性』であって、選出権力である立法府と行政府が司法府より優位にあるという発想は誤っている」と述べた。
金永寿教授は「政治家が恣意的に権力構造を解釈できないようにしているのが、まさに憲法」だとして「民主主義諸国は憲法についての最終的な解釈権を司法府(憲法裁判所または最高裁判所)に置いている」と語った。
ただ、憲法裁判所出身のある弁護士は「李大統領の発言の要旨は、国家の主要政策を巡る紛争が何もかも司法府へと向かい、司法府が全て決定することは正しいのかという点にあるように思う」として「そういう不満は行政権を執行する人なら誰でも持っているのではないだろうか」と語った。
盧錫祚(ノ・ソクチョ)記者、キム・ヒョンウォン記者、キム・ナヨン記者