歴史に対する日本の反省に関心が向いていたところ、政治学者の片山杜秀が書いた「未完のファシズム」の一部から「日本が語る反省とはこういうものか」と感じたことがある。片山は日本を「持たざる国」とし、その日本が「持つ国」である米国との戦いに国民を追いやったと批判した。さらに「体の大きさを理解しよう」として「背伸びが成功する喜びよりも、転んだときの痛さや悲しさなどを想像することの重要性」を訴えた。「痛さ」「悲しさ」という言葉から、のどに魚の骨がひっかかったような違和感を抱いた。つまりこれらの言葉は日本人だけに向けられていたのだ。これが日本のいう反省なら、日本が背伸びして持つ国になった時、何が起こるか恐ろしくなった。
東京大学の加藤陽子教授は終戦から70年を迎えた時の著書「戦争まで 歴史を決めた交渉と日本の失敗」で「日本は戦争を回避するチャンスが3回あった」と指摘する。最後のチャンスは太平洋戦争勃発直前の米日交渉だった。「貿易で世界に進出するなら支援する」と米国が差し出した手を振り払い、日本は真珠湾を攻撃したのだ。
同じ時代を植民地として過ごした韓国はこれらの歴史認識を読んでも気分は良くならない。加藤氏の言葉通り日本が米国の忠告を受け入れていれば、またドイツとの同盟をやめて戦勝国になっていれば、韓国は植民地から抜け出せなかったか、あるいは独立はもっと先のことになっていただろう。韓国の独立は米国との戦争で勝てると判断した日本のミスが大きく影響した。これが日本の敗戦に対する韓国の歴史認識であるべきだ。「日本は力の論理で歴史を反省する国」という事実も忘れてはならない。そんな国と共同で繁栄を追求し、北朝鮮の核の脅威にも共に対処することが韓国の宿命であることも理解すべきだ。だからこそ武蔵のように相手をよく知る必要があり、日本の歴史認識が韓国とは異なるという事実を忘れてはならない。
金泰勲(キム・テフン)論説委員