韓国はいよいよ「386全盛時代」だ。 1996年ごろ、市民運動出身者が自分たちのグループの名称を決める際、「30代で80年代に大学に通った60年代」を略してつくった造語だという説もあれば、当時の最新型コンピューターモデル「386」に由来するとの説もある。まだ公式な辞書には収録されていないが、辞書形式のウェブサイトにはしばしば「386(世代)」という項目がしばしば登場する そして、歳月は流れ、「486」「586」とも呼ばれた彼らは現在、単に「86」という通称で呼ばれている。
2000年代初めに存在感を高めた386世代は、盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領が自ら命を絶って以降、自分たちを「廃族(すなわち大罪を犯して子孫が官職に就けない一族)」と自嘲したこともあった。しかし、現在の李在明(イ・ジェミョン)政権で「386の世」が開かれた。首相や与党代表は「筋金入りの386」だ。閣僚の大半だけでなく、いわゆる「権力実力者ビッグ5」の一角とされる大統領室政務首席秘書官もそうだ。国会議長と国家情報院長も直前の世代の学生運動出身者である広義の「386」の一員であり、民主党国会議員は70人以上が学生会や市民運動に関連があるとの分析もある。民主党の友党・祖国革新党の非常対策委員長は386の看板スターだった。
単純な議席数以上に重要なことは「大統領も交代させた」といった武勇談は決して虚勢ではないとみられることだ。政界内部は彼らの同業者であふれ、彼らの友好勢力を布陣した法曹界、メディア界、労働界、学界、文化芸術界も難攻不落の陣地のように見える。大韓民国の権力の奥の間に入ることに成功した彼らは、もはや権力の最後の高みに向かって前進しようとしている。ここまで来たのも数十年にわたる激しい権力意欲の勝利ではないかと思う。
学生運動の世界史的代名詞は西欧の「68年革命」だ。1960年代末、冷戦体制と経済的豊かさを背景に先進民主・資本主義体制の権威主義と位階秩序に挑戦した激しい社会変革運動のことだ。それは歴史上初めて大学に端を発する社会革命であり、その後西欧圏の社会変動に決定的な影響を及ぼした。しかし、68年革命は基本的に「指導者不在の運動」だった。参加者が後日自ら権力者に変身したケースは非常に珍しく、政治家になっても目立たない素朴な職位がほとんどだった。韓国のように単なる学生運動経歴者が「汝矣島の政治屋」へと直行するケースはほとんどなかった。