松田の登場は、1980年代の日本において女性ソロシンガーの全盛期到来を告げるシグナルでもあった。アイドル界の「太陽」と呼ばれた松田聖子と「月」と呼ばれた中森明菜のライバル関係が、日本歌謡界の黄金期をリードし、韓国の歌謡界にも影響を与えた。松田は「当時の歌手たちはそれぞれが輝く個性を持っていたため、ライバルというより同じ時代を走る同士のように感じられました」として「ステージに立つたびに、常に最初の音と最初の一歩を意識し、そこに集中すれば会場の空気が動くような感じがしました」と説明した。さらに、最近の歌謡界で羨ましい点について「世界への入り口が増えたこと」を挙げながらも「以前は情報が少なかったので、想像によってワクワクする気持ちを膨らませていたし、そういう点がロマンチックでした」と述べた。
松田の一挙手一投足は、当時の漫画や映画などさまざまな大衆コンテンツのヒロインのモデルとなり、それと同時に羨望と嫉妬も呼び覚ました。松田は「自分でも、ある漫画に登場する『聖子ちゃんカット』のヒロインの雰囲気が自分に似ていると感じたことがあります。明るく前向きな部分が表現されていたときが良かった」「意図と違う形で誇張されることもあり、負担を感じましたが、そのたびに覚悟を決めて自然に気持ちを立て直しました」と説明した。
全盛期の人気は、殺人的なスケジュールへとつながった。ギリギリの放送スケジュールに合わせて、羽田空港で飛行機から降りた直後に滑走路で『青い珊瑚礁』を歌った1980年のTBS『ザ・ベストテン』羽田空港ライブが代表的な例だ。松田は当時のことを「目先の仕事だけに集中し、忙しい中で自分の時間を持つのは難しい時期でしたが、ステージに立てば不思議にも気持ちの切り替えができ、背筋が伸びました」と当時の状況を振り返った。さらに「生きているといろいろなことがあったけれど、私は音楽に支えられてきたと感じています」「私にとって音楽は、人生を支える軸」と表現した。松田が「規則的な食事と十分な睡眠、絶対に体を冷やさないこと」という原則で徹底的な体調管理に努めているのも、そうした理由からだ。
そのため「45年前に戻っても、やっぱり音楽の道を選ぶと思う」と明かした。「あの頃の若い自分に『45年間、音楽を続けていくことになる』と教えてあげたらとっても驚くでしょうね。そして、ちょっとはにかみながらも、幸せな気持ちになると思います」
ユン・スジョン記者