■「執筆者は忠武公記念事業会理事長」
ほかならぬ、忠武公の宣揚事業の指揮者が、「東郷は李舜臣を称賛した」と主張していたのだ。李教善はソウル大学副総長、国会議員や商工部(省に相当)長官などを歴任した。その後、ほとんど全てのメディアで、李舜臣を語る機会さえあればこの話がさまざまな形で編集され、無限に繰り返された。
ところで、「平和新聞」の社説には「スペインの無敵艦隊を全滅させた英国のネルソン提督」という誤った内容が含まれていた。無敵艦隊と戦ったのはフランシス・ドレークの艦隊だった。ネルソンのトラファルガー海戦の相手は、ナポレオンのフランス艦隊だった。19年後の1974年、「京郷新聞」に、李舜臣に関する全く同じ間違いを含むコラムが載った。寄稿者は李瑄根(イ・ソングン)という人物だ。「無敵艦隊をトラファルガーの海上で打ち破ったネルソンは、英国政府から最高の礼遇を受けた。東郷は戦勝祝賀宴で『私は朝鮮の名将李舜臣に比べると下士官に過ぎない』と述べた」(李瑄根、「忠武公の国家観:429回生誕日にかみしめる」、1974年4月26日付「京郷新聞」)。執筆した李瑄根は74年当時、東国大学総長で、50年代に忠武公記念事業会に関与した人物だ。
解放後、1950年代と70年代に「東郷が李舜臣を称賛した」と主張した人は、この忠武公記念事業会幹部らのほかにいない。海軍士官学校教授のソク・ヨンダルとキム・ジュンベは、このように結論を下した。「東郷平八郎が『自分は忠武公李舜臣に比し得ない』と言ったという話は、忠武公記念事業会が創作したものだった」(ソク・ヨンダル他、前掲論文)
■正されなかった歳月
これが真実だ。忠武公記念事業会内部の人々が合作した神話は、その後、疑うべき理由すらない事実として固まった。民族の英雄・李舜臣に対して日本の英雄が投げかけた賛辞は、無批判的に受容され、拡散した。ついには1964年、先に紹介した日本の単行本でも、この話を出典なしに引用した。韓国海軍における李舜臣の精神的後輩として、東郷平八郎称賛説が虚構であることを立証した海軍士官学校のソク・ヨンダル、キム・ジュンベ教授は、このように結論付けた。
「歴史学者らの『ためらい』がかなりの部分で作用した。学者らはほとんど、李舜臣という人物が持つ重みに圧倒されたり、その重みに便乗したりして、長年にわたり真偽について沈黙し、傍観してきた。その結果、今では何が真実なのか区分することすら難しい状況がつくられてしまった」
李舜臣の優れた戦略とリーダーシップは歴史的史料を通して立証されている。虚構と操作は害悪だ。事実だけが偉人を作る。
朴鍾仁(パク・チョンイン)記者