【コラム】第2ロッテワールド建設の背景

【コラム】第2ロッテワールド建設の背景

 8月7日付で掲載された「韓国国民がロッテに譲歩して得た『見返り』」と題するコラムは、世間でそれなりの反響を呼んだ。しかし、李明博(イ・ミョンバク)元大統領サイドは静かだった。それはそれで納得できる。大統領府と政界も沈黙を守った。しかし、野党が普段と違って何も言い出さないのはミステリーだった。

 すでに事が始まっているためと考えることもできる。第2ロッテワールドの高さは117階まで来ている。予定通りなら、来年にも完成する。高さ555メートルの超高層ビルが空軍城南基地を阻んでしまうのは、もはやどうすることもできない。しかし、災難は「過去形」ではない。すぐ目の前で待ち構えているかもしれないのだ。

 第2ロッテワールドの建設に反対して解任された元空軍参謀総長のK氏が指摘した通りだ。「実際に飛行してみれば分かることだ。悪天候や機体の欠陥、操縦ミスなどで多少コントロールが狂っただけでも、国家的災害をもたらす。戦争と有事の際の作戦遂行という点で第2ロッテワールドは致命的な障害だ」

 遅れはしたが、それでも当時の決定過程がどのように成立し、背後にどのような力が作用したのかよく見極める必要がある。国家の指導者がしてはいけないことが何であり、責任ある立場にいる人々が職業的良心を捨てるとき、どんな事態が引き起こされるのか、後日のための教訓として残さなければならないのではないか。

 何よりも大統領になって2カ月にしかならない李明博大統領(当時)が、民官合同大統領府会議で「日にちを決めて、それまでに第2ロッテワールドの問題を解決せよ」と国防長官を叱り付けた背景が知りたい。歴代政権から退けられ、14年間にわたって粘り抜いたロッテの請願だった。当然経済復興、投資と働き口の活性化を念頭に置いたことだろう。しかし、ホテルロッテの社長が李明博元大統領の大学の同期だったこと、李元大統領がホテルのスポーツクラブの会員だったこと、当選した当時はホテルのスイートルームを個人の事務所として使用していたことも、政策決定にどのように作用したのか気に掛かる。

 もちろん第2ロッテワールドの建築を承認する過程で、法的手続きと形式には欠点はなかった。最高権力者が決めれば、その願い通りに回答は作られる。権力の周囲には、昨晩まで抱いていた自分の論理と信念をすぐにでも覆すことができる人々が常に集まっているからだ。第2ロッテワールドの建築事業を担当したロッテ物産側のA氏から最近次のような証言を聞いた。

 「当時、軍の将星(将官クラス)出身である大統領府警護処長のK氏がリードした。2008年9月17日の夕方にK処長は第2ロッテワールドに反対した空軍参謀総長に対し『大統領府では抗命として受け止められている雰囲気』と伝えた。翌日、空軍参謀総長が突然更迭され、李明博元大統領は全国経済人連合会の会議に参加した。その席に陪席したK処長は『第2ロッテワールドを建てても飛行上の安全に何ら支障を来さない』と発表した」

崔普植(チェ・ボシク)記者
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