【寄稿】普遍的価値を全否定する日本と欧州の極右民族主義

罪なき人を殺傷したISテロを機に欧州で右翼思想が広まる
日本の極右も相手を否定、戦犯を断罪した東京裁判の検証も
ISの原理主義と同じく、人類普遍の価値を全面否定

 日本の右翼思想の根底にも、その背景や主張の違いはあるものの、差別や排除、そして相手に対する否定的な感情が根を下ろしている。日本の右翼は、差別を受けている在日韓国人たちをむしろ「特権階級」と決め付け、「嫌韓流」のムードを生み出した。人種や国籍、性別などを理由に相手を非難する「ヘイトスピーチ」もためらわない。自分たちが持ち得る財貨を「二等市民」が奪っているという差別意識の表れだ。その一方で、旧日本軍の慰安婦の強制動員を認めた「河野談話」を検証するとして、同談話があたかも政治的な妥協の産物であるかのように本質をねじ曲げ、「日本は過ちを犯した国ではない」と言わんばかりの弁明をしている。自分たちにとって必要なときには「自国民」として動員したかと思えば、戦争が終わるや否や徹底的に排除した右翼思想の表れだ。最近では太平洋戦争の戦犯を断罪した「東京裁判(極東国際軍事裁判)」を批判的に検証しようとしている。東京裁判と「平和憲法」は、敗戦国の日本に対する懲罰、復讐であり、自国に圧力を掛けて締め付けた秩序であるため、そのような戦後体制からの脱却は、東京裁判の検証を通じて決着を付けようという発想だ。憲法改正を達成するためには、日本が「悪い国」だという自虐史観から脱却しなければならないという強迫観念にとらわれ、米国がつくり上げた戦後の秩序から脱皮すべきだと信じている。そのような考えの根底には、日本と米国という近代国家の対決や相互否定が存在する。

 欧州や日本の右翼思想は、逆の立場から自分たちを根本的に否定するISの原理主義とは根元が違うが、妙に似たところがある。差別や排除、相手に対する否定があるだけで、共存や和解、寛容、配慮という考えがない。文明の衝突を擁護するだけで、文明と文明の対話や和解の余地はない。相手方の文明に対する対等な価値の付与もない。何よりも、文明圏を越えた人類普遍の価値に対する尊重が感じられない。開放と和解、相互の尊重や共生こそが、人類の文明がつくり出した歴史的な発展の産物であることを忘れている。これは日本の右派も、欧州の右派も見過ごしがちな落とし穴だ。

パク・チョルヒ教授(ソウル大学日本研究所長兼国際大学院)
前のページ 1 | 2 次のページ
<記事、写真、画像の無断転載を禁じます。 Copyright (c) Chosunonline.com>
関連ニュース
あわせて読みたい