朴大統領罷免:罷免された憲政史上初の女性大統領の生涯

雌伏、「選挙の女王」、初の女性大統領、そして弾劾へ

 次いで、04年の総選挙でハンナラ党が危機に直面すると、朴・前大統領は「リリーフ」として登場した。党代表を選ぶ全党大会で「私には親も夫も子どももおらず、ただ大韓民国のみがある」と語り、「テント党舎」精神を足場に121議席を獲得した。以後、党代表として指揮した選挙に全て勝利し、「選挙の女王」と呼ばれた。06年の5・13地方選挙の遊説中、「カッターナイフテロ」に遭うも、病床で「大田は?」と尋ねて遊説に出かけた。当時の傷跡はまだ残っている。

 07年のハンナラ党大統領候補予備選では李明博(イ・ミョンバク)元ソウル市庁に敗れたが、「私・朴槿恵、予備選の結果をいさぎよく承服します」と語り、ハンナラ党の政権復帰に寄与した。11年12月には危機に直面していたハンナラ党の非常対策委員長を務め、党名を変更し、総選挙を指揮した。第19代総選挙では過半数の議席を確保して政権与党の大統領候補になり、年末の大統領選挙では51.6%の票を集めて勝利した。

 しかし、崔順実被告との40年にわたる縁が、朴氏の足を引っ張った。任期4年目の昨年9月、崔被告が介入した「ミル財団・Kスポーツ財団」疑惑がメディアで報じられると、「乱れ飛ぶ中傷と確認されていない暴露発言」だと語った。ところが崔被告関連の不正疑惑が相次いで確認されたことを受け、最終的に昨年10月25日、「韓国国民の皆様に深く謝罪いたします」と言い、その後も2度にわたって謝罪しなければならなかった。11月29日に発表した3回目の談話では「私の大統領職の任期短縮を含む進退問題を、国会の決定に委ねたい」と語ったが、野党側はこれを拒否。12月9日の本会議で弾劾訴追案が通過し、大統領としての職務が停止された。

【図】朴槿恵・前大統領の年表

宣政敏(ソン・ジョンミン)記者
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