貧農の息子で13歳から工場労働…「辺境の弁護士」から与党大統領候補になった李在明氏

 韓国与党・共に民主党の大統領候補に決まった李在明(イ・ジェミョン)京畿道知事(57)は「貧困を全身で経験して成長したたたき上げの政治家」と自らを表現する。貧農の息子として特定の系譜や組織を持たず、国会議員の経歴も持たない非主流の政治家だが、政界入りから15年で与党の大統領候補まで登り詰めた。

 李在明氏は1964年12月22日、慶尚北道安東市で5男4女の7番目として生まれた。山間の村から5キロメートルを一人で歩いて初等学校(小学校)に通い、山菜を掘って空腹を紛らわせたという。生計が苦しかった両親は息子が生まれた日すら分からなくなり、李在明氏は学校入学のために易者を訪ねて生年月日を決めなければならなかった。

 一家は李在明氏が初等学校を卒業した76年に城南市上大院市場の裏路地にある半地下の狭い家に引っ越した。李在明氏は家庭の事情で中学校には進学できず、13歳から城南工業団地付近の工場で日当400ウォンで働いた。5番目の就職先として働いた野球グローブ工場でプレス機械で左手首を負傷し、手首が曲がった姿になった。この事故で6級障害者となり、兵役を免除された。

 工場で味わった暴力、貧困から逃れるため、李在明氏は大学入学資格検定に相当する検定考試を80年4月に受験して合格。その後は工場労働と並行し、82年に中央大法学部に入学した。李在明氏は「眠さに勝つために机に画びょうをまいて勉強した」と話した。

 李在明氏は86年、2回目の挑戦で司法試験に合格した。判事や検事への任用も狙えたが、当時釜山で人権弁護士として働いていた故盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領の講演を聞き、同じ道を歩むことを誓ったという。89年に城南市で弁護士として開業し、「民主社会のための弁護士会」で活動したほか、利川・広州市労働相談所長を務めた。淑明女子大音楽学部を卒業した妻キム・ヘギョン氏に出会ったのもそのころだ。2人は91年3月30日に結婚し、息子2人をもうけた。

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  • ▲李在明京畿道知事が2017年1月、京畿道城南市のオリエント時計工場前で第19代韓国大統領選挙への出馬宣言式を行い、妻キム・ヘギョンさんとともに母親を抱きかかえている=左側=。右側の写真は李知事が1978年野球グローブの工場で少年労働者として働いていた時代の姿。/聯合ニュース

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