エルサレムに「日本のシンドラー」の名冠した広場誕生

 第二次世界大戦時にバルト三国の1つ、リトアニアで日本領事を務めていた時、ユダヤ人数千人がナチス・ドイツの迫害から逃れ、米国に避難できるよう救いの手を差しのべた「日本のシンドラー」と言われる杉原千畝(1900-86年)の名を冠した広場がイスラエルのエルサレム市に誕生した。NHKなど日本のメディアは11日(現地時間)、エルサレム市南西部の広場「チウネ・スギハラ広場」で式典が開かれたと報道した。報道によると、この記念式には杉原の遺族や、ビザをもらったユダヤ人とその家族ら約70人と、水嶋光一駐イスラエル日本大使などが参加した。

 杉原の四男でベルギー在住の杉原伸生さんは記念式で、「父は偉大なことをしたとは思っておらず、ユダヤ人が困っていたのでビザを発給しただけだった。それが多くの人を救い、何万人もの子孫につながっていると知ったら驚くと思う」と語った。エルサレムのレオン市長は「今回の広場命名は、彼の高尚な行動に対し感謝の意を表したものだ」と説明した。杉原は第二次世界大戦初期だった1939-40年にリトアニアの臨時首都だったカウナスで日本領事代理を務めたが、当時ナチス・ドイツからの迫害を避けて海外に脱出しようとしていたユダヤ人が第3国に向かうことができるよう、日本通過ビザを2139件発給し、米国などへの亡命を助けた。

 このため杉原は、第二次世界大戦時にポーランド系ユダヤ人を救ったドイツの実業家オスカー・シンドラーになぞらえ「日本のシンドラー」と呼ばれるようになった。当時ドイツの同盟国だった日本政府はビザの発給を禁止する訓令を出したが、杉原はそれを破って自身の裁量でビザを発給した。1940年に列車で任地を離れる直前まで妻と一緒に一日数百枚、手書きでビザを発給したという。杉原が発給した通過ビザは1枚で1家族が使用でき、約6000人がナチス・ドイツの迫害を逃れて命をつないだ。そのため、「命のビザ」と呼ばれた。

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鄭智燮(チョン・ジソプ)記者
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