「北で44年間悲惨な暮らし、金正恩政権に賠償してほしい」 日本で初の裁判

帰還事業で北朝鮮に渡ったものの脱北した川崎さんら5人が提訴
日本司法当局、米国のワームビア賠償判決に倣うもよう

 原告の中で一番最初に証言台に立った川崎さんは、はっきりした声でよどみなく自分の北朝鮮生活を回顧した。川崎さんは「北朝鮮は地上の楽園」「北朝鮮ではおなかいっぱい食べて好きな勉強ができる」という朝鮮学校の教師らの言葉を信じ、高校3年生だった1960年に、万景峰号に乗って北朝鮮へ渡った。しかし川崎さんは北朝鮮の地を踏んで間もなく、自分が徹底してだまされていたことを悟った。その後2004年に脱北するまで、貧困と統制にまみれた悲惨な暮らしを送らなければならなかった-と証言した。

 川崎さんは、およそ1時間にわたる証言の間、両手を膝の上に載せたまま背筋を真っすぐ伸ばして座る姿勢をずっと維持した。だが北に残した家族の話をするときには、ついにうつむいて涙を見せた。孫は、日本へ脱出した祖母がいるという事実だけで、軍隊の上官からの金品上納要求に苦しんだ末、殺されたという。このとき、川崎さんは左腕で何度も涙を拭った。新型コロナで国境が閉ざされた後は家族との連絡が途絶え、生死も分からないという。最後に川崎さんは「帰還事業で渡っていったおよそ9万人の大多数は精神的ショック、貧困、政治犯収容所生活などで死亡したが、その子どもや孫、数十万人が生きている」とし「彼らが命を懸けた脱北をするのではなく、正々堂々と日本へ戻ってこられるようにしてほしい」と訴えた。川崎さんは脱北後、日本政府の保護を受け北朝鮮に対して訴訟を起こそうと、日本国籍を取った。

 北朝鮮政府と金正恩委員長を被告にしたこの日の裁判には大きな関心が集まった。午前中から傍聴を希望する市民、記者らおよそ100人が裁判所に集まり、傍聴席の抽選をしなければならなくなった。高齢の原告が何時間も法廷で座っているのは大変だろうと、判事が休憩を提案したこともあった。川崎さんは高齢という点に触れ「残りの生涯で北に残る4人の息子と5人の孫に会えるよう、裁判所が助けてほしい」と訴えた。

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東京=チェ・ウンギョン特派員
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  • ▲北朝鮮政府を相手取って5億円の損害賠償請求訴訟を起こした在日朝鮮人帰還事業被害者らと支持者らが14日午前、裁判の概要を知らせる横断幕を持ち、東京地裁正門から入っていく様子。日本メディアはこの日の訴訟に大きな関心を示した。/東京=チェ・ウンギョン特派員

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