犯罪者は生まれるのだろうか。それとも作られるのだろうか。米バージニア工科大学銃乱射事件を起こし自殺したチョ・スンヒ容疑者の23年間の人生を「Ismail Ax(イスマイルの斧、“神による処刑”などと解釈されている)」に至らせたのは何だったのだろうか。彼の歩んできた人生を振り返ってみると、所々にその「芽」が育っていた。 ◆小学生時代…スポーツが得意で賢い優等生  チョ・スンヒ容疑者ははじめから「一人ぼっち」だったわけではない。チョ・スンヒ容疑者が通っていたソウルのある小学校の元担任教師は「平凡な子供だった」と記憶している。  父方のおばは「勉強はできたが、内気だった」と語る。ただ、母方の祖母は「言葉数がとても少なくて親が心配していた」と話している。  1992年、小学2年生の時に米国に移住したチョ容疑者は、英語があまり必要ではない算数では「天才」と呼ばれた。スポーツも得意で、賢い模範的な生徒だったという。しかし友達はほとんどいなかった。  彼のことを覚えている同級生の1人は「彼は自ら周りと離れ、友達と交わらないようにしている感じだった」と回想する。彼を知る人々は「幼いころから活発だった姉とは違い、彼は口数が少なく親を心配させた」と話している。 ◆中学時代…「いつも一人で食事、寂しそうだった」  彼の存在感はますます小さくなっていく。フェアファックス郡教育庁が公開した中高生時代の記念アルバムでも、チョ容疑者は一人ぼっちだった。他の学生とは違い、チョ容疑者は1998年、中学1年生の時だけバンド部に所属しアルバムの団体写真に写っているだけで、他の生徒たちと一緒に写っている写真はない。300ページ以上もあるぶ厚い高校の卒業アルバムに掲載された彼の写真は、証明写真のような小さなもの1枚だけだった。  彼が卒業した小・中・高校は、ほぼ同じ町内にあるといっていいほど近いところにあったが、「チョ容疑者と親しかった」という同級生は見つからなかった。むしろ彼は「いじめの対象」だった。同級生の一人は「中学の友達が彼を押し倒し、バカにして笑うなど、ひどくいじめられていた。特に、言葉に詰まって変な発音をしていたため、さらにいじめられた」と話す。中学・高校で一緒だったジョン・ダントニオさんは「5年間で彼の口から聞いた単語は50個くらいにしかならないだろう。いつもカフェテリアで一人で食事していた。とても寂しそうで、僕も悲しくなるほどだった」という。

ワシントン=許容範(ホ・ヨンボム)特派員 チェ・ボユン記者 【ニュース特集】米バージニア工科大銃乱射事件

ホーム TOP