「韓国人初の宇宙飛行士」イ・ソヨン博士(女性)が一般人に戻ることが分かった。イ博士は6月26日、メディア向けに送信したメールで「どんな計画であっても、優先順位の1番目は家族」と話し、航空宇宙研究院(航宇研)に辞表を出す旨を遠回しにほのめかした。イ博士の退職をめぐって多くの国民は、イ博士が宇宙関連の活動を続ける意志がないものと受け止めている。一時国民的英雄だったイ博士は「260億ウォン(約26億円)の食い逃げ」という汚名を着せられた。

 「一生を宇宙に行ってきた思い出だけで生きていくことはできない」

 イ博士が航宇研を退職するという話は、実は最近になって出たことではない。2012年、航宇研を休職してMBA(経営学修士)の勉強をするため留学した際も、同じような話が持ち上がった。イ博士は当時「一生を宇宙に行ってきた思い出だけで生きていくことはできない」と話している。イ博士はMBAに留学することに決めた後のメディアとのインタビューで「特別な経験をした私がどうやって科学技術の発展に役立てるのか悩んだ挙げ句、留学を決めた」と話した。

 これについて航宇研は、イ博士が辞表を提出したわけではないため、特にコメントする内容はないとした。ただ、イ博士は航宇研を辞めるにしても宇宙関連の活動は続けていくとみられるため、「韓国人初の宇宙飛行士」というタイトルの剥奪といったマスコミの報道は「行き過ぎ」としている。実際、イ博士は米国国籍を取得していないため、同タイトルが消滅してしまうわけではない。しかし、イ博士は航宇研に正式に所属しているわけではないため、イ博士を活用することで活動を進めたい政府の思惑は制約を受ける可能性がある。

 周囲では、イ博士が進路をめぐり長期にわたって悩んでいたとする声が上がっている。自分がしたいことと、周囲が自分に期待することが違っていたため、多くのストレスを受けていたというのだ。さらにイ博士には、韓国人初の宇宙飛行士を誕生させるために投入された260億ウォンという大金がまるで荷札のように付きまとった。

 政府は、イ博士が宇宙ステーションから無事に帰還すると、航宇研の先任研究員として活動するよう手配した。航宇研は、イ博士が講演や広報のような対外活動に重点を置くことを望んだ。関連事業を進めて予算を編成するためには、国民的な関心が絶対的に必要だったのだ。

 最初のうちは順調だった。全国では多くの人々がイ博士の公演を聞くために集まった。イ博士は2008年からの4年間で235回の講演をこなすなど多忙な毎日を送った。

 しかし、もともとイ博士の専攻は機械工学、その中でもバイオ工学分野だった。航宇研でもこれに関する研究はあるものの、イ博士には関連業務を与えなかった。イ博士には、研究よりも大衆を相手にした活動を願っていたためだ。イ博士はこの生活に多少疑問を感じていたという。航宇研のある関係者は「ほとんどが小・中学生、または一般人に本人の宇宙での経験を話す業務であるため、やや疲れを感じているようだった」と話した。時間がたてばたつほど、大衆の関心も冷めていった。周囲に対し、「一生を宇宙に行って来た思い出だけで生きていくことはできない」と話し始めたのも、この頃からだった。

 そんな中、イ博士は2012年に突然MBAを取得するため米国に留学した。当時も「260億ウォンの食い逃げ」論争が持ち上がった。イ博士が宇宙関連の活動とは程遠い学問をするという点に不満を持つ人が多かったのだ。当時、民主党のチェ・ジェチョン議員がこれを国政監査で批判し、しばらくイ博士関連のニュースがメディアで取り上げられた。

 イ博士は多くを語らなかった。ただ「投資家と科学者をつなぐ役目を果たしたい。昔のように科学技術方面への投資の当為性を主張できない状況」という言葉だけを残した。どんな形であれ、研究を進めていくためには政府や企業からの投資が必要となるわけだが、MBA取得を目指して学ぶことで政策立案者の立場をさらによく理解し、こうした部分で役立ちたいとの意味だった。当時、航宇研の周囲では、イ博士が科学界の現実に少し挫折したようだといったうわさが流れた。

 実は宇宙ステーションでのイ博士の活動も、非常に限定的なものだった。ロシアが建設して運営している宇宙ステーションで、イ博士の活動領域が狭かったためだ。イ博士が宇宙で実施したという18種類の実験は、国内公募を通じて選ばれたとても断片的なものだった。重力が極めて小さい環境での回転運動、表面張力などに関する教育実験などが当時イ博士の行った実験だ。宇宙ステーションのニュースを伝える米国航空宇宙局(NASA)のISSデイリーレポートに、イ博士は「宇宙飛行参加者(SFP-spaceflight participant)」として記載されている。特定の任務がない宇宙飛行士という意味だ。

 科学界からは自省の声が上がっている。発射台も宇宙ロケットもない状況で、宇宙飛行士を誕生させた事業自体が時期尚早ではなかったかというわけだ。ある私立大学の教授は「膨大な宇宙ショー以降、政府と科学技術界が関連分野に関心を持たなかったために発生した問題だが、これをイ博士一人の過ちとして罪をかぶせるのは非常に恥ずかしいこと」と話した。

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