▲左は、1936年6月に作られた最初の徳寿宮配置図。丸い点線で表示した部分が亀の像。その後作られた「徳寿宮庭園配置図」(右側。1936-38)では亀が撤去されており、提案計画が変わっている。噴水台が設置され、後にオットセイ像が置かれた。/写真提供=国立文化財研究所

 1930年代に日本が徳寿宮美術館を作る際、高宗の長寿を祈願した亀の像を撤去して急きょオットセイ像に替えたプロセスが、初めて確認された。国立文化財研究所(姜舜馨〈カン・スンヒョン〉所長)は26日「静岡県浜松市の市立中央図書館で徳寿宮美術館の設計図面217枚を発見した。韓国国内にあった図面429枚と合わせ、設計図全体が初めて確認された」と発表した。1936年から38年にかけて徳寿宮石造殿に付設された徳寿宮美術館(現在の国立現代美術館徳寿宮館)の工事の全体像が、初めて明らかになったのだ。同研究所は最近、この設計図を全数調査して研究結果を整理した報告書「徳寿宮美術館設計図」を発行した。

 この設計図によると、最初に美術館を設計した時点では石造殿前の亀の像が残っていたが、造園計画が突然修正され、噴水台を作ってオットセイ像を置いたことが明らかになった。今回研究を行った金鍾憲(キム・ジョンホン)培材大学教授は「最初の配置図では、地面より2.8メートル高いハス池と、その中にあった亀の像を考慮して美術館の配置がなされていたが、その後作られた『徳寿宮庭園配置図』では、池の底を地面より低くしたハス池を作り、中央部に噴水台を置いた」と語った。

 亀の像は、中国では皇帝を、韓国では長寿を象徴する。金教授は「結局、現在のような状態は、徳寿宮美術館が完工した後の1938年に突然、何らかの意図によって変更されたもの。日本は、高宗の長寿を祈願した亀の像を撤去し、徳寿宮を公園化・戯画化することで、高宗の痕跡を消そうとしたものとみられる」と語った。現在石造殿の前には、噴水台の前後左右に、口から水を出しているオットセイの座像が4体ある。これまでは、このオットセイ像について、東京美術学校の津田信夫(しのぶ)がデザインしたものを大阪の鋳造所で作り、1940年に設置したという事実だけが知られていた。

 徳寿宮美術館は、1936年から38年にかけて新築された古典主義の建築物で、東京の中村与資平建築事務所が設計した。今回発見された資料は、図面計646枚、図書計25件からなる。韓国の国立古宮博物館には、光復(日本の植民地支配からの解放)後に旧皇室財産総局を経て伝わった図面429枚があり、日本には図面217枚と図書25件が所蔵されていることが分かった。図面は、中村与資平建築事務所で作った設計図の原図と、これを複製した青写真、施工現場で発生した修正事項を記録した訂正図面、細部の施工のため現場で作った原寸大の詳細図面(原寸図)など、全てを網羅していた。構造計算書、見積書、予算内訳をはじめ、工事現場と設計事務所がやりとりした電報・はがき・手紙まで全て残っていた。

 同研究所側は「徳寿宮美術館の設計から、入札、完工に至るまで、全ての過程が完全に残っていることを確認した。近代期に一つの建物が建てられるまでの全過程を知ることができる初のケースであり、貴重なものだ」と語った。基礎図面から、鉄筋コンクリート工事、石工事、電気工事、家具工事に至るまで、全工程をカバーする図面が残っており、こんにち近代建築物を復元する上で必要な技術的資料を構築できるようになったわけだ。金鍾憲教授は「石造殿を昔の通りに復元できるので、今からでも、オットセイ像を撤去して亀の像を復元すべき」と主張した。

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