シンガポールのリー・クアンユー元首相がこの世を去った翌日の今月24日、台湾の馬英九総統が乗った台北発の中華航空チャーター機がシンガポールに到着した。馬総統は直ちに首相官邸に向かい、故人の長男であるリー・シェンロン首相など、遺族の手を取って慰めた。馬総統がシンガポールに滞在したのはわずか7時間ほどだったが、その短い行程に込められた意味は大きかった。1990年、シンガポールが中国と国交を樹立し、台湾と断交した後、台湾の元首がシンガポールを訪問したのは今回が初めてだった。友人として長く付き合ってきたリー・シェンロン首相の招きによる非公式の訪問だったが、中国に押されて国際社会で孤立していた台湾政府の関係者たちは満足していた。

 中国外務省は「シンガポールは『一つの中国』の原則を守ってほしい」と不快感を示したが、それ以上の言及はなかった。習近平国家主席はリー・クアンユー元首相に対し「尊敬する政治家であり、人民の長い友人だった」と敬意を表し、その死を悼むとともに、29日の国葬には、ネルソン・マンデラ元南アフリカ大統領の国葬(2013年)で弔問団を率いた李源潮副首相を派遣するなど礼遇した。中国と台湾の指導者が時間をずらしてリー元首相を弔問したことは、「敵をつくってはならない」という切迫した思いから、中立やバランスを原則としたシンガポールの実利主義外交の力を端的に示すものだ。

 シンガポールの中台双方との関係は絶妙なものがあった。リー元首相は建国後「反共」の立場を共有する台湾との国交を維持しながらも、大国・中国との協力にも力を入れた。毛沢東、トウ小平など中国の指導者と、1対1で面会するほど厚い信頼関係があった。90年に中国と国交を樹立した後も、台湾を仲間外れにすることなく、同盟国のように接した。台湾との軍事協定を締結し、合同軍事演習を行い、台湾に訓練基地を設けたことなどが代表的な例だ。「海南島に土地を用意するから(訓練基地を)移してほしい」という中国の提案も断った。その一方、昨年11月には中国人民解放軍の訓練に70人の将兵を派遣し、中国との軍事協力を模索し始めた。今回の弔問外交でも、中国の機嫌を損ねることなく、台湾に対する義理も通した。双方を同時に抱え込む「綱渡り外交」の真髄だ。

 シンガポールの実利主義外交は、韓半島(朝鮮半島)でも見られた。朴槿恵(パク・クンヘ)大統領が自らリー元首相の国葬に参列するなど、韓国の「友邦」として知られるシンガポールだが、「友邦の主敵」との理由で北朝鮮を仲間外れにしていたならば、「わが人民の親愛なる友人、リー・クアンユー閣下が惜しくも亡くなられた」という真心のこもった弔電が北朝鮮から届くだろうか。

 この小さな国の大きな外交力を見ていると、大国のはさまで「THAAD(米国の高高度ミサイルによる防衛システム)」や「AIIB(アジアインフラ投資銀行)」のような問題に振り回されている韓国の外交はみすぼらしく見える。これは現政権の力不足だけのせいではない。列強の利益がぶつかり、北朝鮮の脅威も存在し続けている現状にあって、シンガポールのような綱渡り外交を繰り広げるのはもともと無理だったともいえる。

 問題はこれからだ。東西冷戦から米国の一人勝ち、中国の急浮上と、激動が続く国際情勢が、今後どうなるかは予断を許さない。各国は今後さらに、国益を懸けてそろばんをはじき、激しい競争を繰り広げるだろう。「長い友人」や「宿敵」といった言葉は意味をなさなくなるに違いない。韓国もシンガポールのバランス感覚、実利主義外交を分析し、その長所を学ぶべき時が来ている。

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