「私は、『慰安婦少女像』を恥ずかしく感じる。子孫にプライドを持たせる人物の像を立てるべきなのに、なぜ被害者の像を立てるのか。フランスのジャンヌ・ダルクや米国の『自由の女神』像などは、その国の気迫を誇っている」

 金溶雲(キム・ヨンウン)漢陽大学名誉教授(88)は、韓国社会でこうした発言がどれほど危険かを知らないようだった。インタビューのほとんどは、論争のようだった。

-歴史的事実を否定するのか。日本が認めれば、そう言うだろうか。

 「慰安婦として連れていかれたという事実は、プライドが損なわれ、痛めつけられた傷だ。自分の傷を宣伝するのは慎むべきだ。まるで、春香が官衙(かんが)に連れていかれる時、月梅が倒れ伏して『うちに不幸が起きた』と泣きわめいたように(朝鮮王朝時代の説話「春光伝」による)、そういう行動が同情され得るという心理が韓国人の無意識に作用したのではないか。一般の国際常識では、どう映るだろうか」

-ならば、慰安婦強制動員を否定する安倍政権の日本に対し、どういう立場を取るべきなのか。

 「既に『河野談話』で慰安婦問題を謝罪した。それ以上の謝罪を再び受けるべきだろうか。外交は、こちらの要求だけをやるのではなく、相手のことも考えなければならない。日本は『敗戦』を認めたことがない。『終戦』ではあっても。『米軍に占領された』という表現も使わない。『米軍が進駐した』とは言っても。少し前、問題になった強制労働の表現も『forced to work』であって『enforced labor』ではないと言ったではないか。こうやって日本に向けて韓国の立場・価値観を強要するだけでは、それは外交ではない」

-加害者は日本なのに、謝罪を要求する韓国がまるで間違っているかのように聞こえる。

 「国家の利益を語っている。隣国という地理的条件は永遠に変わらない。互いに助け合って生きるべき関係だ。相手が聞きたくない言葉で反省を強要するのではなく、相手が自ら変われるように引っ張ってやらなければならない。韓国は、日本に対してだけは、どんな暴言を吐いても愛国になるという認識がある」

 金名誉教授と会ったのは、最近出版された『風水火』という本を読んだ後のことだった。本のタイトルは、風の韓国、全ての文明を溶かし込む水の中国、火山のように爆発する火の日本、を意味していた。なぜ韓中日の関係が今のようになったのかを、民族の集団無意識と地政学で分析した書籍だった。

 斬新な一方で論争を呼びそうな視点や、時空を超える博学さといった点は、最近目にした韓国国内の著作物の中では随一だった。にもかかわらず、大して話題にならなかったのには驚かされた。さらに驚くべきことに、金名誉教授は人文学や歴史学を専攻してはおらず、当代最高の数学者だった。

 ソウル市瑞草洞にある金名誉教授のオフィスは、大学の研究室のように本で埋まっていた。

-80代後半で韓中日3国の歴史と文化、認識構造を比較分析し、この大作を書いたという事実に驚いた。

 「年を取ったという感じは、数学の計算でまず表れるものだが、私はまだそれを感じていない。毎日オフィスに行って、午前中は数学を、午後は人文科学の勉強をする」

-どうして、こういうテーマで本を執筆することにしたのか。

 「私は、植民地時代に日本で生まれた。解放が訪れたので戻ってきたら、6・25(朝鮮戦争)に遭遇した。戦争の中で『なぜ韓国はこういう目に遭ってしまうのか。モンゴルの侵略、壬辰(しんしん)倭乱(文禄・慶長の役)、植民地時代といった歴史が、なぜ韓半島(朝鮮半島)で繰り返されるのか』という問題意識を持つようになった。歴史は進歩するだとか、理性と自由が拡張していくといった、マルクスやヘーゲルに代表される『決定論的』歴史観では解決できなかった。この本の執筆には3年かかったが、その当時からこの疑問を解決するために勉強してきた」

-教授は、早稲田大学工学部を出た後、米国に留学して専攻を数学に変えた。いわば、理系続きだが。

 「数学者だったことで、この本を書くことができた。かつてわれわれが習った微積分・方程式のような数学は、『決定論的』数学だった。これは、ソウル駅を出発したら釜山駅には何時に到着する、と答えが出るのと同じ。初期条件が同じなら、答えも同じになる。しかし20年前くらいに『複雑系』の数学が登場した。韓国では私が最初に紹介したものだが、天気予報を思い浮かべてみるといい。天気にはさまざまな要素が介入し、答えがぴたりと出てくるものではない」

-「複雑系」の数学まで出てくるとは、これは手ごわい。

 「『複雑系』の数学には、『フラクタル理論』というものがある」

-部分の構造が全体の構造と全く同じ形で繰り返されるというものを言っているのか。

 「そうだ。ここで私は、歴史の循環に着眼した。大陸勢力と海洋勢力が韓半島で繰り返し騒動を起こす構図と、同じではないか。こんにちの状況は、まさに旧韓末と同じではないか。韓半島の地政学と民族の集団無意識(原形)によって、歴史も循環すると考えるようになった」

-繰り返されるように見えるだけで、事実は全て異なるという反論もある。

 「私は、生きていく中で、体験的にそうした反復性を感じ取った。アーノルド・トインビーも『同時性の歴史』について語っている。アテネとスパルタが競い合ったペロポネソス戦争は、英国とドイツが競い合った第1次世界大戦の様相と全く同じだと語った」

-そうやって比べてみると、同じではないものがある。教授は、韓日対立の起源が、新羅・唐連合軍と百済・倭連合軍が群山沖で激突した663年の『白村江の戦い』にあると書いている。

 「当時、敗北した百済人およそ3万2000人が日本へ移住し、日本の指導層を形成した。この人々の胸に秘められた『新羅のせいで故国に戻れなくなった』という敵対心が、集団無意識の形で現在まで続いている。これに対し新羅は、中国に『事大外交』をすることで進取の精神を失ってしまった。このとき、民族の原形が変わった」

-斬新な着想だが、なるほど。ところで教授は「事大外交」を否定的に見ているのか。

 「もちろん、事大は安全保障政策だが、そのときから尚武の気性が失われ、東方礼儀の国になった」

-今回の本で、中国に対する韓国人の態度がなぜ友好的なのかを分析している。6・25に参戦して統一の機会を失わせた怨讐(おんしゅう)だが、マッカーサー元帥の銅像を壊してしまおうという運動はあっても中国を非難することはなく、これは韓国人の原形に残っている事大主義のせいだと?

 「前に触れた『白村江の戦い』から、全てが始まったと思っている。この事大主義を、これまで意識的に改革・清算したことがなかった」

-当時、事大をしなかったら、中国の隣で韓民族が生き残れただろうか。

 「もし『白村江の戦い』がなく、新羅ではなく高句麗か百済が統一していたら、どうなっていただろうか。韓民族は、より外向的な民族になっただろう」

-韓民族のアイデンティティーは、百済・高句麗が滅亡した後、新羅が対唐戦争を行う過程で形成されたものだ。百済・高句麗の遺民を引き入れるため、『三韓統一』のイデオロギーをつくり出した。それ以前は、3国間に同じ民族という連帯感はなかったというのが定説だ。新羅の3国統一がなかったら、韓民族はなく、今の大韓民国も存在し得なかった。

 「百済と新羅はほとんど同じ言葉を話していたので、民族的感情があったのだろう」

-今回の本で、韓国人は日本人の内面世界を全く理解できていないと書いているが、どういう点を言っているのか。

 「日本は火山列島だ。地震や火山などで、大災害には慣れている。そのたびに、素早く被害を覆い隠して忘れ、新たな方向へ向かう。過ぎ去った過去は記憶しない。『あっさり』しているので、歴史意識がないのだ。そんな日本の立場からすると、政権が変わるたびに繰り返し謝罪を要求してくる韓国は理解できない」

-だが「被害者が受け入れるまで謝罪すべき」と語る日本の知識人もいるではないか。

 「人類の歴史は戦争の歴史だ。日本人は、戦争は犯罪行為ではなく国家生存の手段だと信じているのに、本当に誤っていたと考えるだろうか。それでも対日外交を過去史問題で一貫させてきた韓国人は、独特ではないだろうか」

-過去を直視しない日本の方が独特なのではないか?

 「歴史を簡単に忘れる民族と簡単には忘れない民族、不幸な出会いだ。韓国人は、人が死んだら『お戻りになった』という。原点に戻るということだ。原点では、常に再スタートする。過去史について繰り返し謝罪を要求するのがそれだ。これに対し日本は、人が死んだら『逝く』といい、それで終わる」

-それで終わるなら、なぜ神社や寺で死者のために追悼を行い、戦犯神社参拝で韓国人を刺激するのか。

 「日本人は、死んだ人間を『仏』と呼ぶ。戦犯も、泥棒も、死ねばそれで終わって仏になる。靖国神社参拝をめぐって何か言うと『仏様にお参りすることの何が悪い』と言う。コメディー漫画のようだが」

-日本人の原型には『甘え』要素があると書いていた。

 「強い人間や権力に甘えるということだ。一方韓国は、権力に対して甘えない。その代わり、村中で『ごり押し』して回る。日本が自ら変わるよう引っ張るためには、韓国の国の格や品位を上げなければならない」

-戦後賠償問題に関して、中国は『報怨以恩』として、日本から戦後賠償名目で一銭も受け取らなかったが?

 「そうして人心を得て、後に日本の資本や技術が導入されるという実利を得た。中国の外交術は、韓国とは比較にならない。外交では感情を露わにするのではなく、国家利益を得るのだ」

-金教授は日本で生まれ、解放されるまで暮らしていた。無意識のうちに日本の肩を持つ気持ちがあるのではないか。

 「日本では、私を『反日論者』と思っている、20年前に日本で『醜い韓国人』という本が出たことがあった。これに対抗して、私が『醜い日本人』を出した」

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