1997年12月30日、当時の金泳三(キム・ヨンサム)政権は死刑囚23人に対して刑を執行したが、その後死刑は1回も執行されていない。その結果、国際人権団体アムネスティは2007年12月30日、韓国を「実質的死刑廃止国」に分類した。

 ところが「死刑でも足りない」と感じるような凶悪犯罪が今も繰り返されている。大法院(最高裁に相当)は先月末、元交際相手の両親を殺害したとして、25歳の大学生に対して死刑判決を下した。執行されることはないが、判決は死刑だ。これについて、大法院も違和感を拭い切れなかったのか「(死刑制度廃止法案は)まだ国会で正式に可決されておらず、憲法裁判所も合憲との判断を下している以上、死刑が不当だと認める理由はない」と説明した。要するに大法院の説明は「死刑制度があるから死刑を宣告する」ということのようだ。

 死刑制度賛成論者らは「判決が確定してから6カ月以内に執行命令を下さなければならないのに、法務部(省に相当)長官はこれに従っていない」と非難している。しかし、これは長官が決めることではない。金大中(キム・デジュン)・盧武鉉(ノ・ムヒョン)・李明博(イ・ミョンバク)大統領から現在の朴槿恵(パク・クンヘ)大統領へと続く歴代大統領は、その思想信条とは関係なく、一様に「あえて自分の手を血に染める必要はない」と考えている。世論調査によると、死刑制度に賛成する国民は全体の70-80%に達しているにもかかわらず、死刑制度廃止法案が繰り返し国会に提出されている。また「死刑制度廃止宣言」を求める声にも一理ある。なぜなら「死刑制度」は現在、有効とも無効ともいえない状況になっているからだ。維持するのか廃止するのか、執行するのかしないのか、早く結論を出してほしいものだが、おそらく今後も大統領は結論は出さないだろう。「やぶ蛇」あるいは「寝た子を起こす」ような結果をもたらす、非常にデリケートな問題だからだ。

 刑務所内でも塀の外でも時間は同じように流れる。2007年に性的暴行を目的に自分の船から男女カップルと女性2人組を海に落として殺害したオ・ジョングンは今年77歳。1992年に放火で15人を殺害したウォン・オンシクは23年にわたり服役している。94年に遺産目当てで両親を殺害したパク・ハンサンほか、21人を殺害したユ・ヨンチョル、10人を殺害したカン・ホスンなど、計61人の死刑囚が服役している期間は平均14年、平均年齢は43歳になっている。

 「殺人現場を見れば死刑賛成論者となり、死刑執行の現場を見れば死刑反対論者になる」という言葉がある。元刑務官はどう考えているのか、電話でインタビューを行ったところ「刑務官をしていて死刑賛成論者になった」「彼らの犯行について知ると、被害者の家族が『法律が裁かないのなら自分がやる』と考えるのも当然だと思う」「私は国の制服を着用し、犯人らを被害者家族から守る仕事をしているが、この仕事は不条理だと感じることもある。ユ・ヨンチョル事件で犠牲になった被害者の兄と弟が自殺したというニュースを見て、そのように考えるようになった」「死刑制度のない国は人権を守る国だろうか。被害者の痛みから顔を背ける国が人権を守る国なのか」などと語った。被害者はすでに死んでしまったので考慮の対象ではなく、生きている加害者が逆に「人権保護」の恩恵を受けるという皮肉な状況が現実に起こっているのだ。

 死刑囚たちには1日3食が与えられ、時には特別メニューも口にでき、しかも労役がない「特別待遇」を受けている。そのような現状について「彼らも毎日『不安』という拷問を受けている」という言い訳などすべきでない。むしろ被害者の家族がひどい拷問を受けているからだ。被害者家族に一言の謝罪をしなくとも、法律が彼らを生かし、保護してくれる。このような国の態度は「放棄」以上でも以下でもない。死刑囚の待遇だけでも見直し「長生きする死刑囚」に何らかの形で自らの罪の代価を払わせるか、あるいは罪の償いをさせなければならない。上記の刑務官は「一生働かせて、その金で被害者を救済する基金を立ち上げるべきだ」と訴えている。いずれにしても、最低限の正義が必要ではないだろうか。

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