東京の主婦・和田嘉子さんは1995年3月20日、朝5時30分に起きてトーストと目玉焼き、コーヒーを用意した。夫・栄二さんは普段は朝食を食べないが、その日に限って食べたいと言った。夫は7時30分、地下鉄日比谷線に乗って出勤した。それから約2時間後、会社から電話があった。「事故に遭ったようだ」。タクシーに乗って病院に向かう途中、ラジオで聞いた死亡者名簿に夫の名前があった。嘉子さんのおなかの中には後に生まれる娘がいた。

 作家の村上春樹は自宅で音楽を聞きながら本を片付けていた。雲ひとつない温かい朝だった。午前10時ごろ、友人から電話が来た。東京都内の地下鉄に毒ガスがまかれて被害者が多数発生したので、都内に出るなというメッセージだった。日本社会に衝撃を与えたオウム真理教による「地下鉄サリン事件」だった。出勤などで地下鉄に乗車していた約6300人が車内や駅構内で血を流して倒れた。

 事件に加担したオウム真理教の信者には、東京大学・京都大学の卒業生や医師・銀行員といったエリートもいた。彼らは、「座禅を組んで空中浮揚できる」などという教祖・麻原彰晃=松本智津夫=の荒唐無稽(むけい)な言葉に傾倒、オウム真理教に入信したという。村上春樹は「なぜこのようなことが起きたのか」という疑問を抱き、被害者60人とオウム真理教の元信者・現信者8人にインタビューした。そして翌年出版したノンフィクション『アンダーグラウンド』で、この事件には現代日本社会の病理現象が含まれていると考えた。

 オウム真理教教祖の麻原彰晃をはじめとする一連の事件の主犯7人が6日、日本で死刑執行された。麻原の死刑執行は2006年9月に最高裁判所で死刑判決が確定してから11年10カ月を経てのことだ。オウム真理教事件の主犯たちのほとんどはテロ直後に逮捕された。しかし、麻原の裁判は「死刑廃止論者」である弁護士の遅延戦術により一審判決まで257回開かれた。事件発生から計算すると23年4カ月を経て刑が執行されたことになる。日本の各メディアは「政府が最後の逃亡者まで全員捕まえ、事件全体が明確に整理されるまで待った」と分析している。

 麻原らの死刑執行は、日本の司法制度の執念と徹底している面を示す例だろう。しかし、この事件で夫を失った和田嘉子さんは20年前、既に「なぜこのように引きずって、殺さないのか」「率直なことを言えば、麻原は私の手で殺したい」と言っていた。凶悪な事件により愛する家族を失った被害者たちはほとんどが嘉子さんと同じ心境だろう。

ホーム TOP