歴史学者でも外交の専門家でもない、日本の平凡な一市民が、自分が生まれてもいない時代に起こった関東大震災(1923年)当時の朝鮮人虐殺についての証拠を求め、10年にわたって東京23区の公立図書館の日記コーナーを探し回った。砂の中から金の指輪を探すかのような思いで、図書館の一つのコーナーに200-300冊ある本を1冊1冊しらみつぶしに調べていった。あるときは1行、またあるときは1段落、その時代を生きた約1100人が残した目撃談を拾い集め、『関東大震災朝鮮人虐殺の記録:東京地区別1100の証言』(現代書館)という512ページの証言集を出版した。今月2日、東京都内で会った著者の西崎雅夫さん(57)は「このような内容の本がまだなかったので、書いただけだ」と語った。

 「本を読んで、どんな反応を示すかは個人の自由だ。『今の時代とは関係ない』と切り捨てることもできるし、『今もヘイトスピーチ(特定の集団に対する公の場での差別・憎悪表現)が多く見られる』といって反省することもできる。どっちに転ぶにせよ、このような出来事があったということは知らなければならない。『知ることから始めよう』というのが私の考えだ」

 西崎さんは東京都墨田区で生まれ育った。荒川に沿って、美容室やうどん店、集合住宅などが所狭しと並ぶ庶民の街だ。西崎さんは大学4年生のとき、河川敷で朝鮮人の遺骨発掘作業が行われたのを見て、まさにこの場所で朝鮮人の虐殺が起こったということを初めて知った。そこは子どものころ、いつも遊んでいた場所だった。

 その後、中学校で英語教師として勤務するかたわら、志を同じくする人々と共に「グループほうせんか(関東大震災時に虐殺された朝鮮人の遺骨を発掘し追悼する会)」という市民団体を設立し活動した。日本人や在日韓国・朝鮮人、ニューカマーの韓国人など約600人が金を出し合い、900万円を集めて、2009年に虐殺現場の河川敷の近くに追悼碑を建立した。「悼」という1字を刻んだ石碑だ。

 西崎さんは「加害者も被害者も、結局はこの街の住民だった」と話した。虐殺に加担した人の中で、法的に処罰を受けた人はごく一部だった。「知人のおじいさんが、亡くなる間際に『若いころ、近所の人たちと一緒に朝鮮人3-5人を殺した』と告白したことがあった。知人はショックを受けていた」

 この証言集には、日本人の自警団が「助けてくれ」と叫ぶ朝鮮人たちを生きたまま燃える薪(たきぎ)の中に放り込み、焼き殺しているのを見たという11歳の少女の目撃談も登場する。一方、「日本人であれ朝鮮人であれ、私の下で一緒に酒を飲み、働いた人たちを死なせるわけにはいかない」と言って保護した日本人の工事監督の話も載っている。

 西崎さんは「具体的な事実を忘れた民族と、忘れない民族では、将来も違ったものになると思う。日本の若者たちが次第にこのような問題に関心を示さなくなっているのが大きな問題だ」と語った。「共感する方がいれば、1人1-2冊ずつ購入し、国公立図書館に送る運動を繰り広げてくれればと思う」

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