加藤達也氏は2カ月後に産経新聞ソウル支局長の職務を終え、本社社会部編集委員になる予定だった。その後、特になにもなく日本に帰っていたなら、今ごろは社会部のベテラン記者として平凡な日々を送っていたことだろう。加藤氏が有名になったのは「貨客船セウォル号空白の7時間」のためだった。無罪判決を受けて帰国した加藤氏は安倍首相に労をねぎらわれ、『なぜ私は韓国に勝てたか 朴槿惠政権との500日戦争』というとんでもないタイトルの本を出して賞までもらった。今では日本全国を回り特別講演を行っている。

 酒席での雑談だった「セウォル号の7時間」のうわさが国際ニュースになったのは、韓国政府が三流ゴシップ的な記事を問題視し、加藤氏を法廷に立たせてからのことだった。平凡な外国人記者が「言論の自由の戦士」になり、くだらないうわさが「大統領の弾劾理由」に発展した。裁判で加藤氏が書いた疑惑は事実でなかったことが判明したが、その後すぐに「大統領府で祈とう師が儀式」「整形手術」などのうわさが立った。

 「整形手術」のうわさは長引いた。「崔順実(チェ・スンシル)国政介入事件」が発覚すると、地上波テレビ局の番組は整形手術に焦点を当て、情報提供者を探すという告知までした。ある野党代表は「(美容目的の)注射の方が良くて頭がもうろうとし、国政が担えないなら大統領をやめろ」と言った。国会には沈没するセウォル号と注射器の束を手にした崔順実被告を背景にした朴大統領のヌード画が掲げられた。「薬でもうろうとする大統領のせいで子どもたちが死んだ」という認識が広がり、大統領を追い込んだ。

 このような疑惑に対して特別検察官がおととい答えた。主治医・専門医をはじめ、「注射おばさん」「気治療おばさん」などの施術の可能性がある全人物の事故当日の行動をしらみつぶしに調べた。その結果、すべて「セウォル号の7時間」とは無関係だった。対策本部に行く前、朴大統領が美容師に髪を90分間にわたりセットしてもらったという報道も事実ではなかった。美容師を調べた特別検察官は「4月16日、朴大統領のヘアセットは比較的早く終わった」と結論付けた。しかし、すでに国の面目は地に落ちている。みんな傷を負ったが、責任を取る人はいない。日本人記者1人が「英雄」になっただけだ。

 朴大統領は汚名をそそいだ。しかし、「最善を尽くしたのか」という疑問は残る。朴大統領が間違っていたから子どもたちが死んだというのは事実に基づかない政治的攻撃だ。しかし、事故直後の国家安全保障室長は大統領がどこにいるのかも知らなかったし、事故報告書を持った陸軍中佐は自転車に乗って大統領府執務室と官邸を行ったり来たりしなければならなかった。朴大統領は事態の深刻さが明らかになって3時間後に対策本部に姿を見せた。秘書室長ですら朴大統領に週に一度も会えないことがあるという事実が分かった。数多くのうわさがデマだと判明したが、国民のモヤモヤした気持ちが晴れないのはこのせいだろう。

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