「北朝鮮の高句麗古墳の写真もあるといいます。飛鳥園に保管されていた、1920-30年代の韓半島(朝鮮半島)全域の文化財に関する写真の宝庫が開かれたわけです」

 慶州学研究院のパク・イムグァン院長は8月30日、奈良市の文化財専門写真会社「飛鳥園」にガラス乾板の形で整理されないまま保管されていた写真およそ10万枚を、来年1月から3年かけて調査することで飛鳥園側と合意し、了解覚書(MOU)を結ぶことを明らかにした。飛鳥園は、慶尚北道慶州市九黄洞の皇福寺址(し)三層石塔(韓国の国宝第37号に指定)周辺に配置されていた十二支像(十二支の動物を形象化した像)が植民地時代にどのように発掘調査されたのかを示す、建築家の故・能勢丑三(1889-1954)の貴重な写真(1月31日付本紙既報)を保有している。今回調査が行われる写真は、飛鳥園の創業者で写真の専門家でもあった小川晴暘(せいよう)=1894-1960=が、1920年代から30年代にかけて韓・中・日を踏査して撮影したもの。

 小川晴暘は朝日新聞の写真記者として働いていたが、仏像に関心を抱き、1921年に飛鳥園を開いて転業した。彼は26年から10年近くにわたり、年に1、2カ月は韓国に滞在して各種の文化財を撮影した。パク・イムグァン院長は「生前彼が残した踏査記録を見ると、北朝鮮を含む韓半島全域やシルクロードの敦煌なども撮影していたことが判明した。韓国国内の文化財の写真は1-2万枚に達するものとみられる」と語った。文化大革命で損なわれる前の、本来の姿を収めているシルクロードの仏像写真も出てくる可能性が高い。

 慶州学研究院は2014年から、能勢丑三の写真と共に小川晴暘の写真の存在を知り、飛鳥園と話し合ってきた。今年に入り、奈良国立博物館や東京芸大なども小川晴暘の写真に関心を抱いて調査を提案し、中国も関心を示した。しかし飛鳥園は、これまで信頼を積み上げてきた韓国の民間機関、慶州学研究院をパートナーに選んだ。慶州学研究院は、必要な予算3億ウォン(現在のレートで約2900万円)ほどを自治体などと協議して確保する方針だ。

 能勢丑三の写真を調査した文化財専門の写真家、オ・セユン氏は「当時、およそ2000点ほどあると聞いて飛鳥園を訪れたが、ガラス乾板は3000枚以上残っていて、そのうちおよそ700点が韓国国内の写真だった。今回も、期待以上に多くの韓国文化財の写真が出てくることもあり得る」と語った。

 また慶州学研究院は韓国国外文化財研究院と共に、慶州エキスポ文化センターで9月1日から10月31日まで、能勢丑三が慶州地域で撮った韓国文化財のガラス乾板写真を初めて一般公開する。「90年前のモノクロ写真に収められた韓国文化財展」だ。慶州・遠願寺址、皇福寺址、感恩寺址や神文王陵、聖徳王陵、憲徳王陵の写真など78点と醴泉・開心寺、求礼・華厳寺、開城の高麗王陵の写真9点の合わせて87点を展示する。

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