2017年のノーベル文学賞受賞者が発表された後、100年の歴史を持つフランスの書店「シェークスピア・アンド・カンパニー」が興味深いツイートを行った。「文芸創作科出身者、初の受賞!」。カズオ・イシグロ(63)は英国ケント大学で英文学と哲学、イースト・アングリア大学大学院で文芸創作(creative writing)を専攻した。ノーベル文学賞の誕生は1901年にさかのぼるが、文学の創作を大学で教えるという発想は相対的に新しいものなので、この記録が生まれ得たのだろう。

 世界の文芸創作科の慶事なりという純真な大騒ぎや、芸術創作が果たして教育で可能なのかということへの懐疑は、この文章の目的ではない。それよりも、最近のスウェーデン学士院の文学的態度をいま一度考えてみたい、という理由の方が大きい。

 過去2年間、ノーベル文学賞は過激な選択で論争を招いた。戦争被害者の証言を記録した2015年の受賞者アレクシエービッチは、ジャーナリズムと文学の違いに対し質問を投げ掛け、昨年のボブ・ディランは、音楽と文学の境界は何なのかという問いを生んだ。この質問自体には文化的に有害なところはないが、問題は、その後の騒音と雑音だった。特にボブ・ディランがまずかった。

 ノーベル文学賞の名声とは別に、受賞者は受諾講演をしてこそ賞金900万クローナ(約1億2400万円)がもらえる、という事実を知っている人はあまりいないようだ。うんともすんとも言わなかったボブ・ディランは、締め切りの6月10日直前にようやく非公開で講演を行い、これが問題になった。「自分の人生の一冊」にハーマン・メルビルの『白鯨』を挙げ、幾つか文章を引用したが、これが一種の「盗用」だということがメディアを通して暴露されたのだ。実際、『白鯨』の原文には存在しないのにネットの古典引用サイトが誤って載せている文章を、考えなしに持ってきたことで起こったミスだった。

 ますます領土が狭まる文学の現実の中で、読者の注目や喚起を求める学士院の奮闘自体をおとしめる必要はないだろう。しかし、われわれは経験で知っている。簡単に忘れられることを望む人はまれだが、かといって面倒な形で記憶されることを望む人はもっとまれだということを。

 再び、文芸創作科出身者としては初のノーベル賞受賞者に戻ろう。カズオ・イシグロは、通知を受けた直後のインタビューで、ロックミュージックに熱狂していた13歳のころから自分のヒーローはボブ・ディランで、ヒーローに続いて賞を受けることになり光栄だと語った。ボブ・ディランとノーベル文学賞との間で発生した騒音や雑音を、この作家は知らなかったのだろうか。そんなことはないだろう。

 アレクシエービッチとボブ・ディランを経て、カズオ・イシグロに戻ってきた学士院の選択を支持する。記者が最も好きな今年の受賞者の作品は、1989年に出た『日の名残り』だ。良い小説がいつもそうであるように、幾つもの解釈ができるが、権威に対する盲目的追従と尊敬だけで一貫していた作中の英国執事を反面教師として描いたとも読める。人生と文学に対するカズオ・イシグロの態度を尊重し、彼の受賞をあらためてお祝いする。

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