韓国の李明博(イ・ミョンバク)元大統領が、就任後に初めて迎えた2008年の8・15祝賀演説で「大韓民国の建国60年は成功・発展・奇跡の歴史だった。これを示す国立現代史博物館を作りたい」と表明したとき、保守右派の一部からは懸念の声が上がった。韓国現代史の記述や教育をめぐって左右両派の激しい「歴史戦争」が続いている中で、国が現代史博物館を建てた後に左派が政権を取ることになったら、深刻な状況が生じかねないという懸念だった。左派寄り、果ては大韓民国の歴史的基盤を損なう現代史博物館がソウルの中心部に登場しかねない、という心配には根拠があった。これに対し、国立現代史博物館ができたら、いくら左派でも韓国の歴史を根本的に否定する方向に変えることはできないだろうという反論もあった。10年ぶりの政権奪還の成果を目に見える形で示す必要があった李明博政権は計画をそのまま推進し、任期の終わりごろに当たる12年12月、大韓民国歴史博物館がオープンした。

 今年5月に文在寅(ムン・ジェイン)政権が発足したことで、韓国は「左派寄り現代史博物館」の懸念が現実になるかどうかの岐路に立たされている。進歩左派の歴史学者の中でも強硬派に挙げられる朱鎮五(チュ・ジンオ)祥明大学教授が、大韓民国歴史博物館の新たな館長に任命された。朱館長は就任直後、メディアのインタビューで現在の展示に不満を表明し、韓国現代史の暗い部分を反映するよう変更していきたいという意向を明らかにした。

 朱鎮五・新館長をはじめとする一部の人々は、大韓民国歴史博物館の現在の展示は偏向していると主張する。進歩左派の視点からすると、満足いくものでないということもあり得る。しかし国民的コンセンサスに立脚すべき教科書的観点から見ると、比較的バランスが取れているというのが穏当だ。過去9年にわたって同博物館を作り、引っ張り、助けてきた人々は、時として保守右派の不満を買ってまでも、あまり偏らないようにと務めてきた。先入観を捨て、展示を落ち着いて検討すれば、韓国近現代史のそれぞれの時期に当面していた民族的課題を達成するための苦闘が、かなり忠実に表現されていると分かるだろう。

 それでも同博物館を変えたいのであれば、「韓国の歴史」の枠内で重点を移すことは可能だ。産業化より民主化を、「1948年建国論」より「1919年建国論」を強調し、比重を置くことは問題にならないだろう。その程度は政権交代の戦利品として理解できる。博物館の運営を助けてきた、ある中立的な人物は「産業化博物館から民主化博物館へ変えるのではないか」という見方を示した。しかし、大韓民国樹立の正当性を否定・歪曲(わいきょく)したり、おとしめたり、大韓民国の歴史的正統性を損なったりするのは困る。左派寄りを越えて「反・大韓民国」だという批判を受けてきた検定韓国史教科書の誤った現代史認識や記述が、国立現代史博物館で繰り返されてはならない。

 新たな大韓民国歴史博物館の姿は、朱鎮五館長が力点を置いて推進している来年の「4・3展示会」(4・3は1948年4月3日。済州島4・3事件のこと)と、直後に行われる「政府樹立70周年特別展」、そして常設展示の入れ替えによって明らかになるだろう。先行する二つの展示は、大韓民国の歴史的な姿と密接な関連を有する、極めてデリケートな素材を取り扱うことになる。論争になってきた検定韓国史教科書の筆者でもある朱館長は、「韓国は38度線以南の唯一の合法政府」と強力に主張して韓国の国際的承認に関する重大な事実誤認をさらし、繰り返し指摘を受けてもこうした誤りを認めず、改めない。朱館長が率いる大韓民国歴史博物館を不安に感じ、ことさら注目する理由だ。

 朱鎮五館長は「分裂と対立ではなく、和解と統合の博物館を作りたい」「新たな観点を強要せず、客観的かつバランスの取れた展示を見せたい」と語った。朱館長には、内戦を経験した分断国家の国立現代史博物館トップらしい学問的専門性、思慮深い省察、慎重かつ賢い判断を求めたい。どうか、朱館長が自らの約束を守り、反・大韓民国の歴史博物館を作った人物として記録されることのないようにと、心から願っている。

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