昨年12月28日、キム・サンファン氏が大法官(最高裁判事に相当)に就任した。キム最高裁判事は過去3回不法偽装転入を行った。にもかかわらず2012年、偽装転入を行った60代の男性には懲役刑を宣告。その男性を前科者に仕立て上げた。野党は、キム最高裁判事に対する人事聴聞会でこれを「ネロナムブル(同じ失敗をしても、自分に甘く他人に厳しいの意)の極致」と批判した。辞退を促した野党議員もいた。キム最高裁判事はこうした批判を耐え抜き、最高裁判長に就任した。少なくともキム最高裁判事は、就任の辞でこれについて多少なりとも言及するものと誰もが思った。ところが、これについての言及はただの一言もされなかった。

 これと同じような問題があった最高裁判事、憲法裁判官もいた。彼らは論議になったり野党の攻撃を受けたりした自分の過ちについて恥ずかしく思い、こうした内容を就任のあいさつに盛り込んだ。落ち度があるにもかかわらず、最高裁判事になったことに対する申し訳なさ、恥ずかしさのためだった。キム最高裁判事と同じ偽装転入で痛い思いをしたイ・ウネ憲法裁判官は昨年9月の就任のあいさつで「私の足りなさが恥ずかしい」と話した。左派性向の弁護士の集まりである「民主社会のための弁護士集会」会長を務めた経歴でコード(政治的理念)問題に包まれたキム・ソンス最高裁判事も、就任の辞で「私の経歴に偏向性があると疑われる余地があることを知った。私と違う見解にも耳を傾ける」と語った。

 しかし、キム・サンファン最高裁判事は堂々としていた。キム最高裁判事は「司法部は自らに対する警戒をおろそかにし、国民の愛と信頼を失っている。信頼を取り戻すには一体どれくらいかかるのか見当さえつかない」と話した。前任の最高裁判長の時代に起こった司法行政権の乱用で、裁判所に対する信頼が崩壊した、との趣旨だった。キム最高裁判事にこんなことを言う資格がどこにあるというのか。

 最近記者と知人たちが会合した席で、司法行政権の乱用疑惑とキム最高裁判事の過去の判決が論議を呼んだことがある。平凡なサラリーマンとして暮らしている人々だ。司法行政権の乱用疑惑については意見が食い違い、反応もまちまちだった。複雑で曖昧な側面があるからだ。一方、キム・サンファン最高裁判事については「どうしてそんなことができるのか。判事だったら引っ掛からず、われわれがやったら違法なのはおかしい」といった反応が大多数を占めた。

 裁判所はこうした平凡な国民から信頼を得なければならない。ところが、こうした国民たちが、自分の違法行為はとがめず他人の同じ違法行為には有罪判決を下す判事を、果たして信頼できるだろうか。こうした人々が含まれている最高裁判所の判決に、国民がたやすく納得できるだろうか。答えはノーだ。その点で、キム・サンファン最高裁判事も司法部への信頼を大きく失墜させている。

 にもかかわらず、キム最高裁判事は就任の辞で「憲法の意味と価値が最高裁判所の判決に表現され、韓国社会の堅固な生活規範になるよう努力する」と話した。就任の辞の最後には「正義で公平な裁判」という言葉にも触れた。キム最高裁判事が本当にこうした判決を下せるよう期待する。しかし、自分の過ちに対する告白は後回しにしたそんな言葉に真実味があるとは思えない。「彼の就任の辞はやや傲慢(ごうまん)に聞こえた」という法曹界の人々が多いのは、そのためだろう。

チョ・ベッコン社会部法曹チーム長

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