▲スポーツ部=イ・スンフン記者

 ここ数年の間に韓国で使われるようになった新語に「努力虫(ノリョクチュン)」という言葉がある。努力ばかり強調する旧世代を皮肉る言葉で、個人が努力して得た能力ではどうにもならず、それよりも社会的・構造的要因の方が現実を左右するという意味だ。同様の言葉に、努力を強調するため音を伸ばした「努ー力(ノオリョク)」がある。

 だが、日本野球界の「伝説」イチロー(45)ほどの「努力の虫」はいない。イチローはひたすら努力してアジア人選手が米大リーグ(MLB)で通用することを示した。日本プロ野球で9シーズンにわたりトップクラスの成績を収めたイチローは2001年に大リーグ入りを宣言した。マッチョなホームランバッターが勢ぞろいする大リーグの中で、イチローはやせ形(身長180センチメートル・体重79キログラム)で決して大柄ではなかった。しかし、失敗するだろうという大方の予想を裏切り、大リーグ1年目に新人王とアメリカン・リーグ最優秀選手賞(MVP)をさらい、野球の本場に衝撃をもたらした。

 イチローは独自のやり方により大リーグで生き残った。全盛期に打席から一塁までを3.7秒で走ったイチローは、俊足を生かして約500本の内野安打を生み出した。何としてでもバットにボールを当て続け、18年間で大リーグ通算3089安打を記録した。日本での記録も含めると実に4367安打に達する。プロ野球史上、これを上回るヒットを打った選手はいない。

 イチローはとにかくたくさんの努力をしてきた選手だった。機械のようにルーチンを繰り返したのもそのためだ。彼は毎日同じ時間に起き、眠り、妻が作ってくれる同じ食べ物を食べた。除湿機能付きキャリアケースにバットを入れて持ち運ぶほど野球道具の管理も徹底していた。ニューヨーク遠征時、休日でも一人、セントラルパークで空中に向かってトス練習をしている所をチームメイトに目撃されたというエピソードもある。引退直前まで同じ体重をキープ、その体脂肪率は7%台だそうだ。

 イチローは2012年のシーズン中にニューヨーク・ヤンキースに移籍して以降、「『クビになるのではないか』はいつもあった」と話す。この時、39歳だった。だから、自らに絶えずムチ打った。イチローは22日午前0時過ぎに行われた引退記者会見で、「自分の限界をちょっと超えていく。そうするといつの日かこんな自分になっている。少しずつの積み重ねでしか、自分を超えていけないと思っている。一気に高みにいるとすると、今の自分とギャップがありすぎて、それを続けられない。地道に進むしかない」と語った。

 そのイチローも歳月の流れには逆らえなかった。現役最後の舞台となった2019年大リーグ開幕2連戦で、イチローは5打数無安打に終わった。東京ドームの観客にあいさつしようと帽子を脱ぐと、髪に白い物が多く混じっていた。イチローの目には涙が浮かんでいたが、こらえている様子がありありと伝わってきた。報道陣数百人が集まった引退会見で記者が「最低50歳まで現役と公言していたが」と尋ねると、イチローは「それはかなわず、有言不実行の男になってしまったが、その表現をしてこなかったら、ここまでできなかったかなという思いもある」と答えた。多くの記者がうなずいた。真の努力の価値を知る選手の引退を惜しむものだった。

スポーツ部=イ・スンフン記者

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