▲黄大振(ファン・デジン)政治部次長

 閣僚候補者7人の人事聴聞会があった。文在寅(ムン・ジェイン)大統領もテレビで見守ったという。不動産投機、偽装転入、さまざまな「ぜいたく」「優遇」の疑惑が相次ぐ様子を見て何を思ったのか知りたいと思った。大統領の意中を知るであろう与党幹部に尋ねた。その幹部はすぐに「社会の指導層という人間はなぜ皆がこうなのか」と語った。これまで主流社会に属していた閣僚候補者の道徳性は期待以下だというのだ。同幹部は金慶洙(キム・ギョンス)慶尚南道知事が収監された際には「主流の力はまだ強い」と話していた。

 「主流」と「非主流」の存在を前提としよう。韓国社会では主流は批判の対象であり、非主流は憐憫(れんびん)の対象だ。現政権関係者は今も自分たちを「非主流」だと考えている。

 文大統領も大統領選の当時、「大韓民国の主流を交代させたい」と発言した。ある側近が「どんな国をつくりたいか」と尋ねたのに対してそう答えたのだという。文大統領の脳裏には大韓民国の主流と非主流が明確に区分されており、自身も非主流に属すると考えていたのだ。

 文大統領はまた、「美しい復讐(ふくしゅう)」にも触れた。大統領府(青瓦台)の楊正哲(ヤン・ジョンチョル)元秘書官は「盧武鉉(ノ・ムヒョン)元大統領の遺書を財布に入れて歩く文大統領にどうするのかを尋ねると、『復讐』という言葉を使った。ところが文大統領がその復讐は通常の『誰かに対する恨みを晴らす』のではなく、『我々が彼らとは違うということを示すことだ』と話していた」と振り返った。

 文大統領は朴槿恵(パク・クンヘ)政権下で文化人の「ブラックリスト」事件が浮上した際にもツイッターで同様の発言を行った。文大統領は「大韓民国に再びそのようなことがないようにする。最も美しい復讐とは、我々が彼らとは異なることを示すことだ」と述べた。ここで言う「彼ら」は「主流」であり、「我々」は「非主流」だ。現政権の「積弊清算」「自分が正しく他人は誤り」という路線の根はそこにある。

 しかし、文大統領はまだ「違い」を示せずにいる。誰よりもブラックリストを批判したが、現政権でも似たような事態が起き、検察による捜査が行われている。閣僚・次官クラスでは11人が脱落した。朴槿恵前大統領が自分に対する捜査を「政治的報復」だと批判すると、文大統領は自ら「憤っている」と発言していた。

 フランス語にルサンチマンという言葉がある。何かを長い間考え続けることで、韓国語の「怨恨」や「復讐心」に近い。ニーチェはルサンチマンが奴隷道徳をつくり出すと説いた。奴隷は自分たちがなしえないことについて、そこから生じる挫折感を克服するために復讐を想像する。ゆえに奴隷道徳は根本的に敵対的世界、すなわち「主流」に対する反作用だ。自分たちが道徳の中心ではない。

 高麗大の金禹昌(キム・ウチャン)名誉教授は「ルサンチマンは自我が真の自分らしさを失うところから生まれる」と語った。自分のアイデンティティーが混乱すれば全てのことがもつれる。大統領はもはや弱者でも非主流でもない。文大統領は財産20億ウォン(約2億円)を超える弁護士であり、この国で最高の権力者だ。事あるごとに「既得権」との戦争を叫ぶチョ・グク首席秘書官はソウル大教授のポストに加え、江南のマンションを含む資産が54億ウォンある。30年間マイホームを持てなかったと主張した金宜謙前報道官は25億ウォン相当の物件オーナーになって青瓦台を去った。

 ニーチェは奴隷道徳と反対に「君主の道徳」も指摘した。君主の道徳は自分自身を強く肯定するところから生じる「高貴な徳」だとした。与党幹部が自分たちを堂々と「主流」であると肯定することを望む。世の中が違って見えるはずだ。そうして初めて「美しい復讐」に成功できる。

黄大振(ファン・デジン)政治部次長

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