朴正熙(パク・チョンヒ)元大統領ほど竣工記念碑の多かった大統領もいないだろう。京釜高速道路の秋風嶺サービスエリアには、「祖国近代化の道、国土統一の道」という朴元大統領の直筆が入った竣工塔が建てられている。最初の原子力発電所「古里1号機」の隣の記念塔にも、そして昭陽江ダムにも、彼の痕跡は残されている。代表的なものだけでも、これだけある。国家建設と近代化の時代だったため、当たり前のことだった。朴元政権当時の工期をたどってみると、「漢江の奇跡」の足跡と重なるのだ。

 国会本庁の裏門の出入り口には、大理石でできた議事堂の竣工記念碑が建っている。1975年、国会議事堂の竣工には135億ウォン(約11億8000万円)が投入された。当時の年間予算(1兆3000億ウォン)の1%に相当する。南北統一に備えて議席を400席設けた上、上下院の国会まで想定して会議場を建設した。現在の予算決算特別委員会の会議場が上院会議場だ。当時のメディアは「天井に天の川のように明かりが多く、電気料金が心配」と報じた。それなりの設備で建設したため、これまで大きな修繕もなく使えている。

 蘆山李殷相が書いた竣工記には「この家は統一を祈願する民族の展望台であり、繁栄を約束する歴史の証言塔」と記されている。途中に刻まれた「朴正熙大統領の抱負と英断」という内容が問題だった。竣工当時も新民党の金泳三(キム・ヨンサム)総裁が「政府トップの名前は入るが、野党は言及されなかった」として竣工式には参加しなかった。2日後、側近と共に議事堂を視察した金泳三元大統領は「建物は東洋一を超え、世界一であることは間違いない」と述べた。竣工記についてもこれ以上、問題とすることはなかった。

 国会事務処(政府部署の一つ)が3億5000万ウォンを投じてLED(発光ダイオード)電光掲示板を設置し、竣工記を覆うという。「出入り口が暗いため」というが、実際は「朴正煕」の名前を隠したいのだろう。民主党からは竣工記について「恥ずかしい歴史を象徴している」といった言葉が出ている。竣工記は竣工記にすぎないが、45年前に野党も理解していたことを今になって覆い隠そうとする発想が幼稚だ。

 現政権が発足して以降、大韓民国の歴史博物館は、朴正熙時代の経済成長関連の展示物を大幅に減らした。朴正煕生誕100周年記念切手の発行が取り消された。民主党所属の亀尾市長は、朴正煕の「誕辰」行事を「誕生」行事に変え(誕辰より誕生の方がややぞんざい)、「セマウル課」をなくした。亀尾工業団地50周年記念式広報映像からは朴正熙元大統領が消え、金大中(キム・デジュン)、盧武鉉(ノ・ムヒョン)、文在寅(ムン・ジェイン)現職前職大統領だけが登場する。ソウル市中区は数年にわたって建設してきた「朴正熙記念公園」の工事を中断した。左派団体は、顕忠祠(し)をはじめ全国の史跡地に掲げられた朴元大統領の掛け額の撤去も訴えている。朴正煕時代は功もあり、過もあり、それ自体が一つの歴史だ。隠してみたところでなくなるものでもない。

イ・ドンフン論説委員

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