2002年のサッカー・ワールドカップで活躍した李栄杓(イ・ヨンピョ)氏がオランドのアイントホーフェンに移籍した際、つらかった時を乗り越えた秘訣を明かしたことがある。彼は「つらいことがあるたびに、学生時代のことを思い出した。『どぶで踏みつけられたこともあるのに、この程度なら両班だ』と考えながら乗り越えた」と語った。その当時、韓国代表チームには幼い頃から殴られた経験のない選手は1人もいなかったと言っても過言ではない。このように強圧的な訓練と体罰を耐え抜いてきた選手たちが、韓国スポーツ界を引っ張ってきたのだ。プロ野球の華麗な応援、世界トップクラスの女子ゴルフなど、外から見た韓国スポーツは見違えるほど変わった。しかしその一方では今なお片足がどぶにはまったままだ。

 韓国映画「4等」は体罰を当然と考える韓国スポーツ界の心理を描写している。何度やっても4位にしかなれない小学生の水泳選手に対し、コーチは容赦なく殴る。息子のあざに怒った父が「コーチが選手を殴るのか」と怒りをあらわにした。すると息子が逆に「ぼくが間違ったから殴られた」とコーチをかばった。コーチも「全てお前のために殴った」と言った。「殴られてはじめてメダルが取れる」という考え方が支配するところでは、暴力は日常となってしまう。

 2年前には日本の体操界でも選手に対する暴行事件が大きな問題になった。15歳で日本代表になった宮川紗江選手を暴行する動画が公開された際、コーチの速見佑斗氏は「わたしも子供の頃は殴られながら練習したので、選手を殴ってでもしっかり指導しなければならないと考えている」と強弁した。殴られて育った選手が後にコーチとなり、再び選手を殴るという暴力の連鎖は、韓国のスポーツ界にも蔓延している。ショートトラックの沈錫希(シム・ソクヒ)選手に暴行を加え、実刑判決を受けたコーチのチョ・ジェボム氏の事例はその典型的なケースだ。

 暴行といじめに耐えられず、この世を去ったトライアスロンのチェ・スクヒョン選手に対しては「生きて復讐すればよかったのに」といった死を悼む書込みがネット上で相次いでいる。選手たちは上の学校への進学や就職の決定権を持つ指導者の下で、「絶対的な甲乙関係」の中で生きている。「一生にわたり目をつけられるリスクを冒して大韓体育会やその競技団体に訴えても無駄だった。そのため最後は極端な選択をしたようだ」と知人たちは泣きながら語った。彼らにとってスポーツ界というのは法律からは遠く、拳がすぐ近くにあるところだ。

 医師でもなく何の資格もない人物が「チームドクター」と呼ばれ、合宿に同行し選手たちに体罰まで加えた。大韓スポーツ医学会は「非資格者をチームドクターとして呼び、過度な権威と誤解を呼び起こした」とする声明まで出した。スポーツにおける人権問題を所管する文化体育観光部(省に相当)と大韓体育会では、1年もしないうちに担当者が交代する。専門性のないところで「暴力」という毒キノコが今も大きく育っている。

閔鶴洙(ミン・ハクス)論説委員・スポーツ部次長

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