日本の安倍首相が2回目の政権獲得に成功した後、2013年に初めて米国を訪問したが、その際彼の演説の様子をその場で見る機会があった。ワシントンのシンクタンクにおいて安倍首相はその第一声で「日本が戻ってきた(Japan is back)」と述べ、米日同盟の復元と経済回復への意思を明確にした。その顔には自信があふれ、米国の関係者らは彼に熱い関心と期待を寄せた。それから数カ月後、エコノミスト誌の表紙には「日本だ(It's Japan)という題目と共に、スーパーマンの服装をして空を飛ぶ安倍首相のイラストが掲載された。

 安倍首相は軍国主義復活を目指して周辺国と摩擦を続けた。私学スキャンダルによって一時はその政権基盤が大きく揺らいだが、経済政策の成果と支離滅裂な野党のおかげで勢いに乗っていた。3期連続の政権維持に成功し、昨年8月には「戦後最長の首相在任期間」、11月には「全在任日数が最長の首相」というタイトルを立て続けに手にした。来週には「連続在任日数が最長の首相」という記録も塗り替える。「2024年まで4期連続」が公然と語られるほど、「安倍首相1強」の勢いはとどまるところを知らなかった。

 しかしその雰囲気はわずか数カ月前に180度変わった。コロナ防疫の大失敗で安倍首相の支持率は最低を記録した。「ねずみでも使わない」といわれる布マスクの配布を対応策として提示したが、逆に笑いものになってしまった。経済復興策「アベノミクス」は悲惨な成績表を残し、挫折の危機に追い込まれた。大腸疾患まで再発したという。周辺からは「非常に顔色が悪い」「近く辞任するのでは」などの声が聞かれ、メディアは後任首相候補に関する記事を次々と報じている。権勢は10年持たないと言われるが、その墜落はあまりにも急激で劇的だった。

 安倍首相は国内での人気が高いときは周辺国、特に韓国での人気が最悪だった。昨年の外国指導者の好感度調査では金正恩(キム・ジョンウン)氏でさえ9%だったが、安倍首相は3%だった。一言で「極嫌」だった。安倍首相が国内で政治的な危機に追い込まれたときに「韓国攻撃」を露骨に行った結果だ。彼は自らが主催した大阪G20(20カ国・地域)首脳会議で韓国との首脳会談だけはやらず、韓国に対して「最も重要な隣国」という表現も削除した。貿易を外交報復の手段として活用し、韓国政府関係者と会うときは自分よりも低いソファに座らせる偏狭な態度を示すこともあった。

 文在寅(ムン・ジェイン)政権が今のように思う存分「竹やり歌(竹やりを持って日本軍に反乱を起こし玉砕した故事を歌う)」を歌い、「土着倭寇(国内の親日派)フレーム」を振り回せるのは、完全に安倍首相の「おかげ」だ。「敵対的共生」のこの上ないパートナーと言うべきか。多くの専門家が「『文在寅-安倍首相』の組み合せでは両国関係の改善は不可能」と展望してきた。どちらも国内政治に相手国を利用するからだ。安倍首相の退場が韓日関係をどこに導くか気になるところだ。

イム・ミンヒョク論説委員

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