マスクをした70代の女性が画面に現れた中年女性を見て、「私の願いがかなった。アイ・ラブ・ユー(I love you)」と涙声で言った。イ・ウンスンさん(78)は44年前に行方不明になった娘ユン・サンエさん(47)と画面で対面して涙をぬぐった。ユン・サンエさんはたどたどしい韓国語で「お母さん、きれい。お母さん、愛してる」と言った。

 15日午前10時、ソウル市東大門区の警察庁行方不明者家族支援センターで、長期行方不明者家族の再会が実現した。ソウルと米バーモント州のインターネットでつないだ「リモート再会」だった。

 ユン・サンエさんは1976年6月、祖母と手をつないでソウル・南大門市場に出かけたが、道に迷って行方不明になった。家族はソウルにある児童養護施設をしらみつぶしに捜し、ラジオ放送や日刊紙にも事情を書いて送った。KBSテレビの情報番組『朝の広場』にも出演してユン・サンエさんを捜したが、何の手がかりもつかめなかった。

 母親のイ・ウンスンさんは「南大門警察署に失踪(しっそう)届を出した後、夜間通行禁止になる時間まで娘を捜すため歩き回り、チラシを作って配った」と話す。ユン・サンエさんの家族はこの日、「子どもを捜しています」と書かれた、色あせてしわくちゃになった緑色のチラシをパウチして持ってきた。イ・ウンスンさんは「お前を見失った所をぐるぐる回って商売をした」「40年間、南大門市場で商売している間、子どもが通りかかると『もしかしたら、うちの娘ではないか』と思いながら暮らしてきた」と言った。姉のユン・サンヒさんは「父はいなくなった娘を恋しがって酒を飲み、病気になって死んだ」と語った。

 画面の中のユン・サンエさんは「ホルト児童福祉会を通じて米国で養子縁組された。双子の姉と兄がいるとは想像だにしていなかった」と話した。ユン・サンエさんは米国に養子に出され、「デニス・マッカーシー」として暮らしていた。行方不明になった時3歳だったユン・サンエさんは、自分の名前を「ムン・ソンエ」と間違って覚えていた。本名がユン・サンエであることも今回初めて知ったという。

 44年前に行方不明になった家族と再会できたのは、今年1月に施行された「海外韓国系養子家族捜し」制度のおかげだ。在外公館で海外に養子に出された韓国系の人の遺伝子を採取して警察庁に送れば、行方不明者家族の遺伝子情報と照合できるようになった。ユン・サンエさんは米ボストン総領事館を通じて遺伝子を韓国に送り、イ・ウンスンさんの実の娘であることを国立科学捜査研究院が確認した。警察によると、現在14カ国の在外公館の34カ所で海外養子を対象に遺伝子検査を実施しているとのことだ。34カ所の在外公館管内における海外養子だけで約16万7000人に上る。

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